2012年12月27日

モーリタニア〜セネガル




6時半、ホスト宅を出て、ヌアクショットのバス停へ。
3人のアメリカ人パッカーも一緒に。3人はフランス語も話せるので心強い。

何十台ものタクシー、バスがここからセネガルとの国境ロソへと出ている。
ここに着くなりドライバー達が私たちを囲み「ロソか?俺のタクシーに乗れ」と勧誘。

30分くらい色んなドライバーと交渉した結果、5人乗りのタクシーを7人でシェアして100円で。
アフリカはとにかく無駄が全くないな。
日本だったらタクシー2台使って3人と4人で分かれていくだろう。

国境までは約2時間。
タクシーを降りたら5分ほど歩く。モーリタニア出国ゲートが待っていてくれる。
ゲートをくぐるためのこのパニック、なんだか懐かしい。


ゲートをくぐる際になぜか40ougya9セントくらい)払う。
何のためなのか分からないが、まあ9セントなので良しとしよう。

出国局でスタンプをもらう。ここも人で溢れているが、誰も列に並ぼうとしない。30分以上はそこで揉めた。金を請求してくるやつまでいる。


セネガルとの国境は川。と言う訳で大型ボートに乗る。
カヌーで越える人も。

こんな国境の越え方は初めてだ。ボート上でも、物乞いの子供が小銭の入った缶をジャラジャラさせて、「マネー、マネー」とやって来る。
川で捕まえた魚をその場で噛み付く子供も何人か見た。

セネガルはビザ不要。
ボートを降りる際、一旦パスポートをセネガル警察に没収される。
後で入国管理局にてスタンプと一緒に返してくれる。
書類を書くことも、お金を払うこともなし。職業と渡航目的を聞かれるのみ。

セネガル、ここからはついにブラックアフリカ。
モーリタニアも暑かったが、ここはもっと暑い。
排気ガスと砂埃で喉がイガイガする。

アメリカ人の友達3人はここからセントルイスへ、私は首都のダカールへ向かう。
国境からダカールまでは5500F800円ほど)、それから荷物代として500F70円くらい)。

バスは途中何度か何もないところで休憩。
公衆トイレもないので、男性も女性もその辺でする。恥らいなどなし。

女の人は大抵ロングスカートを履いているので全て隠せるのだけど、
当然私はズボンなので丸見えである。

一応木の陰でしたが、意外とここにいると「見られてもいっか」ってなる。
というより誰も気にしないだろう。裸で生活する部族だっている訳だし。

たまに街の中でさえ全裸で歩く男性を見るが、あれは何なんだろう。どっかから迷い込んできた部族民か、単なる変態か。
最近はこんな風景にも慣れてしまったが。

モーリタニアと違って、ここは乾燥しているけれど緑が多い。
人も文化も全然違う。
国民の約90%がイスラム教徒と言われているが、クリスマスもここは祝っていたらしいし、
露出をした女の子もよく見る。

そしてとにかく踊る、踊る、踊る。
旧ソビエト国では何を言っても「ウォッカを飲め」だったが、ここでは「踊れ」だ。
踊れば問題解決。イライラも疲れも眠気も吹っ飛ぶ。

言語も違う。アラビア語はもう通じず、ウォロフ語とフランス語を話す。
このウォロフ語、数の数え方がかなり単純で、15まで覚えれば残りは「5+1」「5+2」と足していくだけ。簡単すぎる。

ちなみにYESは「ワーオ」。
何でもない話をしていても「ワーオ、ワーオ」って反応するから、どんだけオーバーリアクションなんだと最初は思っていた。


おいしい、おいしい、と言って食べたけれど、
3食これだったときはさすがに泣きたくなった。。
でも食べられるだけでも幸せなんだよなあ。一歩家の外に出れば毎日1ドル以下の収入で生活する人がたくさんいる。

最近はコーラでさえ外で飲むのを控えるようになった。
外で飲んでいれば「わあ、あの人コーラ飲んでる」と貧しそうな子供達や大人がじっと見つめてくる。
日本人にとっては「庶民の飲み物」でもここでは贅沢品。

年越し編に続く。

砂漠のど真ん中で



ホストのダダとヌアクショットからタクシーに乗り、砂漠の中の村Maata Mulanaへ。


途中の礼拝休憩にて。左の建物は小さなモスク。

“Maata Mulana”とは「神様からの贈り物」という意味。
砂漠の中にある小さな村だ。

村人はここで生まれた人だけでなく、アラビア語やコーランを学ぶために首都ヌアクショットや他の市、国から来た人、巡礼のために来た人などさまざま。
私がお世話になったホストファミリーは南アフリカ出身。
アラビア語を学ぶために来たという。


ここでは都会とは全く別の時間が流れている気がした。
のんびり、でもあっという間に一日が過ぎていく。

インターネットも携帯の電波もない。
時計も誰も持っていないので今何時なのか分からない。

モスクから聞こえてくるアザーン(礼拝の呼びかけ音)で時間を知るのみだ。

気づけばクリスマスが過ぎていた。
そろそろクリスマスじゃない?と友達に聞くと、さあ?どうでもよくない?と。
ですよね。

日中は暑いのでほとんど外に出ない。
4時に一日の始めの礼拝で目が覚める。その後また寝て8時頃に朝食をとる。

のんびり会話したり家の掃除をしたり昼食や夕飯の用意をしながら時間をつぶす。
家の外に出なくても毎日誰かが家に訪ねてきて、お茶を飲みながら会話を楽しむ。


コーランが書かれた書字板。子供達はこれでコーランを読む。
子供達はアラビア語学校、コーランの学校など忙しい。

こんな小さな村にも学校や病院はあるが全てタダ。
先生や医者は政府から支援されている人たちか、ボランティア。
「この村に仕事はあるの?」と聞くと「あるけど給料はないよ」と。それで成り立ってる(?)のがすごい。

そして外国人が意外と結構いる。
フランス人、モーリシャス人、ベルギー人など。彼らは元銀行員だったり投資家だったりと、実は結構お金持ち。
仕事など全て捨て、ここにやって来たのだそう。

都会の生活と比べたら、そりゃあ不自由だらけだろう。
でも彼らがここを選ぶ理由が分かる気がした。目に見えないけれど、この村にはひたすら愛が溢れている。


シャワーも浴びられない、ハエと蚊だらけだし、砂漠のため体は砂埃まみれだ。
でも全く苦に思わない。不便かも知れない、でもそう感じない。

きっと毎日素敵な出会いと発見、感動があるからなのだろう。
始めは2日間だけここにいる予定だったが、離れられなくなり結局5日間過ごした。
もっといたかったとさえ思う。不思議だ。
日本にいたらたった1日でもシャワー浴びられないと落ち着かないのに。

私のホストファミリーは南アフリカ出身でロンドンにも何年か住んでいたことがあり、
家族内での会話は全て英語だった。
5歳の娘と7歳の息子。
れぞれ、パキスタン、ロンドンで生まれ、去年ここに移住してきたばかり。
都会での生活ももちろん知っている。でもここの生活の方が気に入っているらしい。
唯一恋しいものはアイスクリームだって^^

私のホストファミリー宅では、日没後から22時頃までの数時間、わずかな電気が使えた。
基本的に、電気の代わりにたき火、水道の代わりに遠く離れた場所から汲んできた水で毎日やりくりしている。
食べ物もすべて自給自足。

ゴミもほとんど出ない。生ゴミはすべてロバやヤギの餌になる。
メモ代わりに使った紙なんかは、ヤギが食べてくれる。(これはマジで食べていたのでびっくり。クロヤギさんとシロヤギさんの歌は本当だったんだね!)

トイレもこの辺では皆ペーパーを使わない。水と手を使う。
私は最初かなり抵抗があったが、慣れるとペーパーなんて実は要らないんだなと気付く。(汚い話でごめんなさい笑)。

ここでは私も常にメルハバという大きな布で体を全て覆っていた。
ここにいる人は皆熱心なイスラム教徒。
イスラム教徒以外の人間を見たことのない人だってたくさんいる。

だからといって、非イスラム教徒を差別するようなことは決してない。
イスラム教徒だろうとキリスト教徒だろうと、モーリタニア人だろうと日本人だろうと、
この村の人たちは誰でも喜んで受け入れてくれる。


金曜日の礼拝へ行った。泣きながら礼拝している人を何人も見た。

私の友達ダダも、ここに来るとアッラーとの距離が近くなるのを感じる、モスクに行って礼拝すると様々な思いが込み上げてくる、と言っていた。


ベッドは屋上^^
もちろん、光などないので辺りは真っ暗。月の明かりが頼りだ。
こんなに星ってあったんだと思うくらい、何億もの星がちかちかと光る。

5つ星ホテルに泊まっている金持ちたちよ、ここに来れば5つどころか何億もの星の下で寝れるぞ!


コーランを暗唱している女の子。これをクリア出来れば大学卒業の単位がもらえるのだとか。


最後の日の夜、女の子たちと伝統の踊りを楽しむ。
楽器なんてないけれど、水のタンクや木の枝でリズムをとる。
小さな頃に戻った気分だ。おもちゃなんてなくても、周りにあるもので工夫しながら楽しむ。
最後にふさわしい夜でした。

2012年12月20日

西サハラ〜モーリタニア 国境越え




ダフラでのホストの友達がモーリタニアのヌアディブへ行くと言うので、
その友達3人とシェアさせてもらうことに。
16時、ダフラをぼろぼろの車で出発。
「ベンツで行くらしいぞ」という言葉をまともに受けた私が馬鹿でした。

ダフラからヌアクショットまでは6時間で着く、とホストからは言われたが、
国境に着く気配すらない。砂漠、砂漠、砂漠・・。


18時半頃、日没の礼拝のため休憩。
サハラの紅茶を楽しむ。お茶の重要度が相当高いんだろうなあ。
どんな旅行でもみんな必ずポットとグラスを持ってくる。

何のんきにお茶飲んでんだ、今日中にヌアクショットに着きたいのに!と内心思っていたが、彼らに急ぐ様子など全くない。
時間のことをつい気にしてしまうと、「私はやっぱり日本人なんだなあ」と改めて思う。

国境から1時間ほど離れたガソリンスタンドに着くと、「もう国境は閉まってるぞ」と告げられる。
ああ、やっぱり。というより、この人たちはもともと今日中にモーリタニアに着くつもりなどなかったんじゃないか・・?

何を話しているのか全く掴めなかったが、彼らに続いてガソリンスタンド敷地内にある建物へ。

もう国境は閉まっている、車は汚いし寒い。
ということで、ガソリンスタンドの人たちが寝場所を提供してくれるとのこと。
そんなことある??笑

建物内のリビングルームで4人休んでいると、建物を管理している男の人が夕飯を持ってきてくれた。突然来た私たちにここまでもてなしてくれるとは。
ショックラン、ショックラン(ありがとう)と何度もお礼を言うと、「アッラー、ゲスト、エブリシング!」と。「アッラーがゲストに全てあげよと言っているから」という意味だろう。もう言葉が出ない。

明日国境超えられるよね?と聞くと「インシャアッラー(If the god wants)」と。私もインシャアッラー、と繰り返す。もう祈るのみです・・・。

女は私のみ。私一人のために別室を用意してくれ、23時頃就寝。

翌朝4時半頃に出発。
気温は低く、ぶるぶる震えながら再び車に乗る。

1時間ほど走り、ようやく国境に到着。が、当然まだ国境は開かない。
車で寝るのか・・と思っていたら国境のすぐ脇にサハラのノマド式テントがいくつか設置されていて、国境が開くのを待つ間そこで寝ていいとのこと。

こちらがそのテント。毛布も貸してくれて、8時過ぎに朝食まで持ってきてくれた。

何者かも分からない私たちに、何から何までもてなしてくれる。私が逆の立場だったらここまで出来るだろうか。

朝食を済ませ、国境のゲートで待つ。国境前にはトラックや車のながーい列が。
9時になり、ようやくオープン!

パスポートを預け、しばらく待つ。
同行していた人の一人が私たち全員分の賄賂を払ってくれたようで、一番に出国。
私は外国人なので「どこへ行くか」「職業は何か」などの簡単な質問をされる。
それからいつも通り、「オースズキ!」と。

ガッタガタの道を車で10分ほど走らせ、モーリタニア入国局に到着。
ここでもまた同じような質問。あとは簡単な荷物チェック。「アルコールはあるか」とだけ聞かれた。

11時頃ようやく国境を抜ける。引き続き車を走らせ、ヌアディブへ。
同行していた人たちとはここでお別れ。ヌアクショット行きの大型タクシー乗り場で降ろしてくれた。

モロッコDHSが使えたので、100DHS1000円ほど)払い、ヌアクショット行きのタクシーに乗る。
正直このときかなり疲れていたが、大型タクシーはそんなのお構いなしに人を山のように乗せ出発。

私は座席の上で体を45度傾けた状態。とにかくきつい。
まだ乗せんのか、あんたは明日にしてくれって言いたくなるくらい、次から次へと人を乗せる。
東京の山手線とかに乗っていて「まだ乗ってくんのか、諦めて次の電車にしろよ」って思うのと似ている。

前日の16時に出発してから28時間後の1920時、ようやくヌアクショットに到着。
ホストのダダと無事に会え、彼女の家へ。

5分で着く」=30分、「6時間で着く」=28時間。
なるほどね。

2012年12月18日

西サハラ、ダフラ



西サハラで二番目に大きな街、ダフラ。
前記事にも書いた通り、ここは旧スペイン領。
モロッコではフランス語だったのが、ここではスペイン語。

最近はようやくアラビア語で値段が聞けるようになったので、スペイン語でもフランス語でもなく私は意地でもアラビア語で。
結構アラビア語をしゃべると現地の人は喜んでくれます。

とにかく暑い。日中は30度以上、夜になると15度〜20度ほど。
日中外に出るときは、日よけ対策にヒジャブがどうしても必要だ。
特に今私は坊主だから頭をヒジャブでどうしても守りたくなる。

海沿いなので風も強く、砂埃が鼻や目を刺激する。
目はサングラスで、鼻はヒジャブで隠す。
だいぶ怪しい格好だが、ここの人たち(ただし男性に限る)にとっては普段着だ。

ホストのMustafaと友達と、海釣りに。とにかく星がめちゃくちゃ綺麗だ。
小さなほら穴を見つけたので、中をロウソクで照らし、シーシャ(水パイプ)を吸いながらアチャイ(紅茶)を楽しむ。
サハラの紅茶もまた魅力的。高い場所から茶を注ぎ、泡を作る。

そしてモロッコの紅茶と同じく、めちゃくちゃ甘い。
この日釣れた魚は3匹。その魚をさばいて、タジン鍋を作る。


自分らの釣った魚で作るタジン鍋、最高だね。
その後はサハラ音楽を披露してくれた。これぞプライスレス。
高いレストランなんかよりこっちの方がよっぽど価値あるよ。

・・モーリタニア国境越え編に続く。

2012年12月17日

西サハラへ




マラケシュからはバスで西サハラのダフラへ向かう。
一日一本大型バスが出ている。
所要時間は約24時間で、運賃は450DHS4500円ほど)。

24時間のバス旅、と聞いても最近は何とも思わなくなった。
今回は最前席だったので窓からの景色は最高だったなあ。

バスは出発後1時間で休憩。「え、もう?」って思ったら、礼拝のための休憩でした。
バスを降りるなり休憩所の礼拝室に向かう人々。

深夜0時頃、モロッコと西サハラの境界線付近にくると何度も検閲所を通る。
モロッコ警察がバス車内に来て、私のパスポートのみをチェック。
警察 “What is your job?”
私 ”Student”
警察 “Journalist?”
私 “No no, S T U D E N T!!”
こんなやり取りをその後の検閲所でもした。
西サハラはジャーナリスト入国禁止。
そのためモロッコ側や西サハラ側の警察は外国人訪問者に敏感である。

西サハラは、現在モロッコが実行支配する旧スペイン領。
76年にスペインが領有権を放棄し、今はモロッコがほぼ全域を支配。
西サハラはサハラ−アラブ民主共和国としての独立を主張し続けている。

かつてスペインのジャーナリストがここ西サハラの報道をしてから、
モロッコは再び西サハラがスペイン領になるのを恐れ、ジャーナリストやあらゆる報道機関の立ち入りを禁止するようになった。

夜のサハラをバスが進む。
真っ暗で何も見えない。
途中の休憩所から見た星空があまりに綺麗で未だに目に焼き付いている。

2時頃、真っ暗な道をバスが走行中、おかしな野郎がいた。
前方を走る車のドライバー、酔っぱらっていたのか、単なるキチガイなのか、他の車を前に通させようとしない。
片側一車線の道路を右に左に走り、軽自動車も大型バスでさえもこの車を追い越せない。

たまに前方のドライバーが窓から顔を除かせ、抜かせるもんなら抜かしてみろ、と煽ってくる。

バスのドライバーは怒り狂っていた。 
何度もクラクションを鳴らし、抜かせろ、と叫んでいた。
乗客もみなブーイング。一方そのドライバーは、近づくとタバコやペットボトルなどのゴミを投げつけてきては左右に運転し嫌がらせを続ける。

私たちのバスの後ろには既に車の列があった。
30分以上それを続け、ようやくそのドライバーは右側によけ私たちのバスが追い越した。

すると今度は別の車が後ろから追い抜いてきて、同じことをしてくる。30分後くらいにようやくその車もよけてくれ、バスは通常通り走り出した。
あいつらは一体なんだったのか。腹が立つやつらだ。

隣の女の子に「あいつら何なの?」と聞くと、笑って”Welcome to Africa”と言われた。
よくわからんが、そういうことらしい。

とまあ、こんな風に書いているけど、この時最前席にいた私の心臓はバクバクだったわ。
ゴミがフロントガラスにぶつかってくるし、周りの人が何話してんのか全くわからんし。次は何がぶっ飛んでくるんだと思うと怖くて仕方なかった。夜中の移動はこれだから嫌だ。

朝焼けの砂漠。
何もない。道が一本、砂漠の中にあるだけ。

右手を見れば青い海原、目の前には水気もない大地。
たまにラクダが草をむしって歩いているのをみると、何か色々どうでもよくなってくるんだよね。
もうここでラクダと一生暮らしてもいいんじゃないかとさえ思ってしまったりする。
日本ではあり得ないくらいにスローペースで時間が過ぎて行く。


綺麗な夜景を見ても涙は出ないけれど、何もない砂漠で地平線の先の空を眺めていると、感動のあまり涙が出てくる。
人間が手を加えていない景色の持つパワーは街中のそれと大きく異なる。
ただ見ているだけの自分がもどかしい。うーんなんだろう、この大地を抱きしめたくなる感じなのかなあ。
感動してもしきれないし、この大地にその感動を伝えてやりたいとさえ思う。

14時頃、予定より1時間早くダフラに到着。
このときの気温は33度・・。

続く。