2012年10月28日

オランダ



アムステルダムより少し南のUtrecht.
運河が街の中央に流れ、マーケットで食べ物を売る人や教会へ行く人で忙しい。


街の様子。とにかくみんなチャリ!チャリ!チャリ!
きちんと自転車レーンも設置されているのがいいね。

午後は電車でアムステルダムに移動。
カウチサーフィン(http://www.couchsurfing.org)で見つけたホストのサンナ。

プロフィールのページに”Don’t expect that I will take you to coffee shops!”と書かれていて笑ってしまった。

マリファナが合法で有名なアムステルダム。
「マリファナが吸えるコーヒーショップへ連れて行ってくれ」と言ってくる人がやはり多いらしい・・。

 

広場でチェスを楽しむ人々。

建物の色、形、大きさなどバリエーション豊かで面白い。可愛い街並だ。


翌日は早朝アンネフランクの家へ。開館の9時前には着いたが、すでにこの列。

アンネの家の中では写真撮影は禁止。
入館料は5 ユーロくらいだったかな。
アンネとその家族が住んでいた家が一部そのまま残されている。小さい頃によくアンネの伝記を読んでいたので、ここは一度行ってみたかった場所だ。

ポーランドのアウシュビッツ、ベルリンのユダヤ人博物館やテロのトポグラフィー(ナチス資料館)をこれまで訪れてきたが、ここアンネの家はアンネの視点から当時の様子を見ることが出来て、ナチスやゲシュタポに怯えながら隠れ暮らしていたユダヤ人がどのような苦境の中で毎日を過ごしていたか知ることができる。

他の女の子と何ら変わらないユダヤ人のアンネ。
昼間外に出て走り回ることも、明かりを点けて勉強することも、大きな声で話をすることもできなかった。
いつか自由になれることを夢見ながら、静かに隠れ家で2年間も暮らしていた。

日本人を博物館の中で何人か見かけたが、戦後は日本がドイツと同盟国にあったことから「ナチス=日本」として日本を差別する声も多かったという。
アンネの日記を翻訳する際、 日本語への翻訳を止めにかかる人もいたのだそう。
今では博物館の中に日本語のパンフレットも用意されているし、本屋へ行けば日本語で書かれたアンネの日記のコーナーもある。


この日の午後はホストのサンナが働いているボート乗り場へ。タダで乗せてもらえることに!アムステルダム市内に流れる運河を旅する30分の船旅。
天気が良かったのが何よりラッキーでした^^

レコード屋さん。写真じゃちょっと分かりづらいけどこの建物、若干傾いています。アムステルダムではこんな建物ばかり。埋め立て地が多くて地盤が緩いのだとか。

何より羨ましいのがこのボートの家!住みたい!!
が、相当高い。当たり前か・・。

アムステルダムを一人歩いている時、背中に何か違和感を感じ、後ろを振り向くとそこに女の子が。私が振り向いた瞬間走って逃げていった。

デイバックはフルでオープン。幸い何も盗まれていなかったが、ものすごい恐怖心を感じた。
中に入っていたのは水のペットボトルとメモ帳、日記帳、トイレットペーパーくらい。
パスポートとお金は服の中、カメラは首から下げてジャケットの中にしまってあるので何も被害がなくて済んだが、もし何か盗られていたら・・と思うとぞくっとするね。

周りに人が歩いていようと関係ない。
誰かが他人の鞄を開けているのを見ても、みんな知らんふりだから。
注意したり止めたり、なんてことはしない。だからどんな場所にいても油断できないね。

もう一つよくあるのが、地図を私の前で広げて「ここに行きたいんだけど・・」と言いながら私のポケットの中から何かを盗もうとする手口。
私が大きいバックパックを背負っているときに限ってこういう人がくるのだが、どんだけ馬鹿なんだと言いたい・・。
見るからに観光客なのにそんな人に道を聞いてどうするんだと。しかも聞いてくる場所が大抵目の前にある。ここだよ、と指差して立ち去るようにしているが・・。

さーて、次に向かうはベルギー、ブリュッセルです。

2012年10月26日

西ドイツ、カッセル



ベルリンの次に向かう街はKassel.
カーシェアリングのサイトで見つけたEric4人用の電車チケットを持っていてシェアしたいとのこと。
残念ながらもう2人は見つからなかったが、20ユーロで6時間電車の旅も悪くないなと思い、ご一緒させてもらうことに。


ドイツで初めての電車の旅。のどかな田舎道の中をゆっくり進む。
東ドイツから西ドイツ。途中3回ほど乗り換え。乗り換え時間は短いが、基本電車は遅れてくるので特に問題なし(笑)。

東ドイツでは古く破壊された建物がよく見られるが、西ドイツに入るととたんに新しい建物と街並に変わる。
私はどちらかというと東ドイツの雰囲気が好きだ。
壁一面落書きされた廃墟が取り壊されることなく残っていて、壁崩壊後に不況となった東ドイツの様子を感じることが出来る。
デッドタウンとなった街もいくつか存在するらしい。

フランクフルトより少し北に位置するカッセル。
観光地ではないが、毎年9月に行われる”Documenta”というアートフェスには世界中から多くの外国人が訪れるという。


フェスで展示された美術品が公園にも残っていた。


グリム童話「眠りの森の美女」の舞台ともなったお城。
正直この場所に来るまで話の内容全く知らなかったのだけど・・笑
紅葉も綺麗でロマンチックな場所です。


行く途中で羊の渋滞。

カッセルからオランダのUtrechtまではシェアさせてもらえる車も見つからず、久々にヒッチハイクすることに。

ちなみに私がいつもヒッチハイクする前に使うサイトがこちら。
“HITCHWIKI” http://hitchwiki.org/
ヒッチハイクしやすいポイントを教えてくれます。過去にヒッチハイクした人がヒッチするまでにかかった時間や、そのスポットまでの行き方なども細かく書かれていて便利。

カッセルの街中心部から少し南まで行き、アウトバーンに入る手前の道で待機。
なんとそこに別のヒッチハイカーが!
こんな小さな街で、しかも同じ場所でヒッチハイクしている人を見るなんて思わなかったからびっくりだ。

彼の行く方向も同じだったので一緒に待つ。
10分もしないうちに一台の車が止まってくれて私は30分ほどその車で西へ移動。

オランダ行きの車が多いというサービスエリアで降ろしてもらい、そこでドライバーを一人一人まわり行き先を聞く。
20分後くらいにベンツに乗った兄ちゃんとその彼女がオランダとの国境付近のDuisburgまで行くから乗せていくよと言ってくれた。

1時間でDuisburgのサービスエリアに到着。
さて、そろそろUtrechtまで行く車を見つけたいものだ。最初はガソリンスタンドで聞くも、あまり車が来ないのでサービスエリア出口付近で待機。黄色いナンバープレートにNLの文字が書かれたものがオランダ行き。

30分ほど手を上げ続け、ようやく一台の車が止まってくれた。
行き先を聞くとUtrechtから30分ほどの街Hilversumまで行くと言う。完璧だ^^

運転しているおばあちゃんも、若い頃は私のように旅をしていたと言っていた。
見た感じ6070歳くらいなのに英語がぺらぺらなのはびっくり。

2時間ほどでHilversum到着。
私たちの通う教会に案内するわ、と教会にも連れて行ってくれた。
その後電車の駅で降ろしてもらう。オランダ語で礼を言い今度は電車でUtrechtへ。

Utrechtでのホストはキルギスで一緒に働いていたMariusWendelaカップル。
オランダ料理を作って待っていてくれた^^

2012年10月23日

ベルリン



ミュンヘンからは再びカーシェアリングを使用。結構投稿数も多いのでおすすめ。
こちらがリンク→http://www.mitfahrgelegenheit.de/

19日の午後に出発するドライバーを見つけたので早速連絡をとる。
相手はおじいちゃんで英語を話せなかったのでホストに電話してもらう。
ベルリンまで25ユーロ。

待ち合わせの14時半、駅で待つもなかなか現れない。
「駅で待ってるよ〜」とメールしても返事がしばらく来ない・・。

20分ほど待ったところで返事が来たが当然ドイツ語。
近くにいた若いお母さんに訳してもらうと、

「衝突事故起こして運転できない状態だ、ほかのドライバーを探してくれ」

とのことらしい。なんだと!

このとき既に15時過ぎ。
これからヒッチハイクしようか・・とも考えたがヒッチハイクスポットまで行くのにも30分以上かかる。

それからこの時間にベルリンまで行く人を探すのはそう簡単ではないだろう。
ベルリンまでは最低6時間。暗くなる前に目的地には着きたいものである。

お世話になっていたホストのShah Rokhに電話すると、「帰っておいで」と言ってくれた。
なんだか申し訳ない気持ちになったがここは甘えさせてもらうことに。

その後、28ユーロで翌日の昼前に出発する運転手を見つけ、連絡するとオッケーの返事が。
やれやれ・・。

なんだか一日を無駄にしてしまった気分だが、まあ仕方ない。
もし私があの運転手の車に乗っているときに事故を起こしていたら・・と思うとぞくっとするね。

翌日、無事ベルリン行きのドライバーにも会え、3人で車をシェア。
ドライバーは若い男の子だったが英語を話せず、もう一人のおじいさんも話せず。
車の中はしんとしていた。話しかけても「ああ」と言われるのみ。

カーシェアリングに投稿する人の中には、旅を共にして会話を楽しみたいって人と単純にただお金を稼ぎたい人、の2パターンがいるようだ。
残念ながら今回のドライバーは後者。6時間あの沈黙はちょっときつかったなあ。


ベルリンといったらベルリンの壁。
1961年から1989年までドイツを共産主義の東ドイツ、自由・資本主義の西ドイツに分けていた壁。1ユーロ払えばパスポートに「東ドイツ」「西ドイツ」のスタンプを押してもらうこともできる。

  
写真はEast Side Galleryにて。


あまり博物館には行かないのだけど、ここで一番気になったのは”TOPOGRAPHIE DES TERRORS” (テロのトポグラフィー)。

第二次世界大戦時のゲシュタポ(秘密警察)やナチス、国家保安部の構造や歴史を写真や文書、音声や映像で紹介する博物館。いわゆる、ナチス資料館です。
入館料は無料。

この博物館は、当時ナチス本部が置かれていた場所にある。
たった6070年ほど前の出来事とは思えない。
当時のナチス支持者の中でまだ生きている人もきっと多くいるだろう。
彼らは移民国家と言われるようになった今のドイツをどう捉えているのだろうか。
それから政府の中にも当時ゲシュタポやネオナチだったがいるのでは ・・とも思う。

この博物館に置かれていたパンフレット。
ドイツ語の次に多く減っていた言語は、英語でも中国語でもなくヘブライ語だった。小さなことだけど、私には印象的でした。

そしてその日の夜は”Anti Zionism”の団体設立者であるパレスチナ人のSidiと会う。Zionism(日本語ではシオニズム)とはイスラエルにおけるユダヤ人国家建設運動。彼はガザ出身で、4年前にドイツに移住。
私がその日に行った博物館の話をすると「ユダヤ人の虐殺されている写真を見たら涙が止まらなくなるだろうから僕はまだ行けない」と言っていた。それを聞いてなんだかほっとした、というよりも心が動かされた。
アンチシオニズムであって、アンチユダヤ人ではない。ユダヤ人からすればAnti Zionismの団体設立者なんて、反ユダヤ主義者に見えるかもしれない。

実際イスラエル人に批難されたことは何度もあると言っていた。「あんたみたいな人種差別主義者が世界を狂わせている」と言われたこともあるという。

私も会う前は「相当過激な人なんだろうなあ」とか思って少し緊張していた。会う前に私にYouTubeのガザ地区戦闘の映像を送ってきていたくらいだから。
でも人って会って話してみなきゃわからないね。


ベルリン市内にあるモスクに連れて行ってもらった。外から見れば普通の建物だが、中に入ればそこはイスラムの世界。一階が男性、二階が女性用。
ドイツ国内ではモスクを建てることは禁止。礼拝呼びかけのアザーンも禁止。

 ベルリン最後の夜はHard Rock Cafeへ! ここ数日で一番癒されたね^^


2012年10月19日

プラハ〜ミュンヘン



チェコ、プラハ。
もともと共産党国だったチェコ・スロバキア。

1989年の革命によって共産党政権が崩壊し、チェコとスロバキアは解体。
今チェコは共和制。プラハ市内の地下鉄は、一部1960年代に旧ソ連によってデザインされたものを使用していて、他の旧ソビエト国と似た車両や駅をよく見かける。

観光客がとにかく多い。移民も多い。
特に多いのがベトナム人。
スロバキアもそうだったが、この国で最も多い移民者はベトナム人だ。チェコ国内には約6万人のベトナム人がいるらしい。

お隣スロバキアではユーロを使用しているのに対し、こちらチェコでは通貨は変えずクラウン(CZK)を使用。
1ユーロ=25CZKほど。物価はそれほど高くはないが、観光地なだけあってプラハはやっぱり高い。

チーズ嫌いはなんとか克服しつつあるが(最近はパンに少しだけチーズを乗せて食べられるようになった!)、このチーズは最高だといって出されるものは基本チーズ味が強くて駄目だ・・。

プラハには関係ないが、一番衝撃を受けたのが、サウジアラビア出身の女性旅行者に会ったこと。
なんと一人で旅をしているという。
配偶者なしで女性が国を出るのには、家族の許可、政府の許可が必要でかなり苦労した、シェンゲンビザを取得するまでに5ヶ月かかったと言っていた。
5ヶ月ならまだいい方なのかも知れない。。格好いいね!

プラハでは2日だけ過ごし、今度はドイツへ。
チェコとスロバキアのカープールのサイトがあるのでそれを使用。16日プラハからドイツのミュンヘンを通ってイタリアに行くドライバーを見つけたので早速コンタクトを取る。値段は少し交渉し、16ユーロにしてもらった^^バスで行けば倍以上はするのでこれはおすすめだ。

英語も話せる人だったので車の中ではお互いの話で盛り上がった。出張でイタリアに行くというJerry。ミュンヘンの私のホストの家まで乗せていってくれた。感謝!


さて、ドイツ−ミュンヘンについても少し。
先週ドイツ最大ビール祭りオクトーバーフェストが終わってしまったところで(くそっ泣)、今では空っぽの会場を見ることが出来ます(笑)。

ホストはイランからの移民、Shah Rokh
4歳のときに家族でドイツに移住してきた。彼はイラン人というよりドイツ人だね。

さすがは移民受け入れ国、ドイツ。
街を歩けばあらゆる国籍の人を見ることができる。
Shah Rokhのアパート周辺はトルコ人や、イラン人、アフガン人、アラブ人などが多く、ケバブの店やシーシャ(水パイプ)を置いたカフェが多い。

古い建物が並び、教会の鐘が街に響く。若い人はだいたい英語を話せるので特に困らないが、年配の人なんかは少しプライドが高い人も多く、ドイツ人だ、英語は話さん、と言ってくる人もいた。もちろん全員ではないけれど。

これだけ移民が多ければ、ドイツ人も彼らに対して寛容だろうと思っていたが、そうでもないようだ。
特に年配の人から差別を受ける移民は多いという。
地下鉄で、職場で、レストランで、睨まれたり他と違った対応をされたりなど。

私が街で彼らを見る限りは全く分からないのだけど、 インド人やパレスチナ人、イラン人の友達から話を聞くとそれぞれつらい経験が少なからずあるよう。

そういえば大学1年のときに6ヶ月だけドイツ語のクラスをとっていたことがあったのだが、ほとんど忘れてしまった。数の数え方さえ曖昧だ・・。

語学って相当モチベーションがないと身に入らないんだな、と改めて感じます。
3ヶ月いたキルギスでもっとロシア語覚えられたんじゃないか、と思うのだけど何故かロシア語にあまり興味が持てなくて、結局ごくわずかなフレーズのみしか分からない。

それに比べて1ヶ月だけいたイランでは大分ペルシア語覚えたなあと思う。
まだまだだけど、ペルシア語は今でも勉強中^^

ベルリンに続く。

2012年10月14日

ポーランド〜スロバキア〜チェコ




ポーランドの次に目指す場所はスロバキア。
直通のバスも電車もあるが、一番安いルートがこれ。

1.     クラクフからバスでKatawice(カトヴィツェ)へ(14zt
2.     カトヴィツェのバス停からPolski Busでスロバキアのブラティスラヴァ!

カトヴィツェから出ているPolski Busは最近出来たばかりの新しいバス会社。
店頭でのチケット販売はまだ始めておらず、ネット予約のみ。
6時間の距離で30zt(約750円)は安いです。
電車だと10倍以上高くつく・・。直通のバスだと120ztくらいだったかな・・。

このバスWi-Fiもトイレも付いていて、かなり快適。
英語のアナウンスもある。座席も結構広めで、まだこの会社の名が知られていないためか乗客数も多くない。

10時半にカトヴィツェ行きバスに乗り、1時間半ほどで到着。
またもやバス停でも何でもないところで降ろされたので、周りの人に聞いてバスターミナルへ。
13時過ぎ頃にブラティスラヴァ行きのバス到着。

ポーランドからはシェンゲン圏なので国境でのチェックなど一切無し。
いつスロバキアに入ったのかわからない。スタンプも当然なし。

静かな田舎道が続く。

何もない草原や、可愛い三角屋根の家や、山沿いの牧場。
こんなのどかな景色にも最近は慣れてきていてなんとも思わなかったけれど、やっぱり都会で数日過ごした後に見る田舎の風景っていいね。

横浜からたまに実家に帰ったときの気持ちと似ている。
 

19時過ぎ、ブラティスラヴァに到着。バスターミナル内でホストのIanik”MIYU”と書かれた紙を持って待っていてくれた。
こんな迎えられ方は初めてだ^^

今度のホストはIanikMirko2人、ゲイカップル。
今月ブラティスラヴァで行われるゲイフェスティバルの主催者でもある。


ブラティスラヴァは小さくて可愛い街でした。
天気がよかったので一人のんびりと街を歩く。

お昼にSMEというスロバキアの新聞社の記者さん2人とランチ。南スーダンやリビアの取材の話など聞くことができてなかなか面白かった。
残念ながらSMEはすべてスロバキア語で書かれているので私は読むことができないのだが。
仕事の合間だというのにビールを飲むところがさすがである・・。

ここブラティスラヴァにもユダヤ教礼拝堂シナゴーグが一つだけある。
ただずっと閉まったままで誰も入れない。


その日は1時間だけオーストリアへ。ガソリンはスロバキアよりオーストリアの方が安いため、こっちで給油する人が多いのだとか。

12日、チェコのブルノへ行くためバスターミナルへ。
チケット売り場でブルノ行きのチケットを買いたいと言うと、バスの中で買え、と言われる。

言われた通りにバス停へ行き、バスが来たところで運転手にチケットを買いたいのだが、と言うと「どうしてここで買おうとするんだ。チケット売り場に行け」と。
ここで買えと言われた、と言っても当然無駄な訳で。

おまけに9時発のバスは満員のため乗れず・・チケット売り場で9時半発のチケットを買い、やっとのことでブルノ行きのバスに乗る。

ブルノまでは約1時間半で着く。
チケットは11ユーロ。発車時刻によってブルノの到着場所が異なるので注意。
私が乗ったバスはグランドホテル行き。
ホストのヤンはイランで会った大学生。先月イラン、パキスタン、インドの旅を終えて帰ってきたところだ。


この日はどんより曇っていて、気温は10度ほど。
街に出ると小さなマーケットでビールやホットワインを飲みながら体を温める人たちも。

運悪く、ほとんどの建物がこの時再建設中で、せっかくの景観が台無しである。

ヤンが祖父母を訪ねにHradec Kralovelというプラハ近くの小さな街に行くと言うので、私もブルノには泊まらず一緒に行くことに。

ブルノからフラデッチまでは列車で移動。クレジットで買えば120CZK、現金だと227CZK900円ほど)もする・・。

列車は1時間遅れで到着。途中また何やら問題が発生したようで30分ほど停車。3時間半後にようやくフラデッチに到着。


翌日は天気にも恵まれ、暖かく、市内を散歩。
その後はヤンの母親の牧場へ^^

久しぶりに馬に乗って、牧場内を走る。
次また旅に出るのなら、馬に乗って世界を廻ろう、と結構本気で考えています。(馬にパスポートが必要なければいいのだけど・・)

紅葉の季節。赤や黄色に染まった木々が牧場を囲む。


その日の夜は牛や豚やヤギへの餌やりを手伝った。
もちろんこんな仕事は初めてだ。犬に猫、牛、馬、羊、ヤギ・・これら全てをこのお母さん一人で世話しているそうだ。

翌日はヤンの友達オンドラとヒッチハイク。
ガソリンスタンドで30分ほどドライバーに聞いてまわり、老夫婦からOKをもらったところで首都プラハへ!