2012年11月30日

デッドタウン、オラドゥール



イギリス、アイルランドの旅を終え、ロンドンに戻る。
写真はインド出身の友達の誕生日パーティ。
3日ほど過ごしたところで今度は再びパリへ。

ロンドンからパリまではバスで移動することに。
ユーロスターにバスごと乗って移動。8時間半のバス旅で25ポンド。

今度のパリ訪問の一番の目的が「国境なき記者団」。
前回風邪で行けなかった分、今回こそ!と。

何度メールしても返事は来なかったので電話。なんとかオフィスの外で会ってもらえることに。久しぶりにドキドキしたーー。

各国政府との関係や記者から見た世界の報道の自由度などを質問したくらいなのだが、「話の内容は公表しないでくれ」とのことだった。
私のような何でもないただの学生に勝手に公表されては相手側からしたら都合が悪すぎる。

ま、気を取り戻して。

パリの次に向かうは南部の小さな街、リモージュ。

フランスでの移動は基本電車。
国外への移動のみバスを使用するらしい。少し高いが、25歳未満は電車代も少し安くなる。パリからリモージュまで55ユーロ。

リモージュには3時間ほどで到着。パリより寒い。
色々な人に道を聞きながらなんとかホストファミリーの家に到着。
リモージュは小さな街でこれといって何かがある訳ではないが、静かで過ごしやすい場所だ。

人々もパリ人に比べて親切で、目が合えば笑顔で挨拶してくれたりする。
パリに比べてかなり静かだから、パリで見たような教会を見ていても感じ方が全然違う。
人が前後で行き交う場所で美しい風景を見ていてもなんだか落ち着かないし、どうもしっくり来ない。

みんな決まって「何故リモージュに?」と聞いてくるが、
ここに来た理由は デッドタウンと呼ばれるオラドゥール(フランス語ではオハドゥール)へ行くため。


戦時中、ナチスに破壊され一日でデッドタウンと化した街。
ブログを見てくださった方が教えてくれるまではオラドゥールのことなんて何一つ知らなかったのだけれど、フランス人でさえこの街のことを間違って覚えている人が多いよう。

パリのホストの方に聞いたら、「アメリカに破壊された街でしょ?」と。
アンネフランクはフランス人だと思っている人も実は結構多いらしい。
私もまだ知らないことだらけだが、自国の歴史を知らない人は日本にも多いと思う。

ちなみにフランスではいつでも「ドイツは悪者」といった教育をされるよう。
ナチスドイツと同盟国にあったイタリアや日本のことはあまり触れないのだが、ナチスがフランスを攻撃したことはとにかく頭に叩き込まれる、とリモージュのホストが嘆いていた。
「フランスとドイツが戦争中に戦っていた」という人が多いが、私たちは攻撃されただけで戦ってはいない、とパリの友達は言っていた・・。

リモージュからオラドゥールまでは毎日バスが数本出ている。30分ほどでデッドタウン付近に到着。
 

デッドタウンへは博物館の裏口から入ることが出来る。博物館は一部をのぞき無料。
オラドゥールの歴史を展示したコーナーへ入るには7.5ユーロ(学生は5.5ユーロ)。

1944610日、突然オラドゥールに押し寄せたナチスドイツ軍。
銃で撃ちながら村内を歩く兵士たちと、村の広場や教会に強制的に連れ込まれる村人。
なぜこんな不当な扱いをされなければならないのか、村人たちは理解出来なかったという。

ここは別にユダヤ人地区という訳でもなく、ごく普通のフランス人が住む小さな村。
彼らが無差別に殺される理由など当然ない。


600人以上いた村人は ほぼ皆殺しにされた。
そのうち130人は子供。家は放火された。
博物館では村人が順番に銃で撃たれる映像が公開されている。

まず足を撃たれ、歩けないようにし、その後彼らは焼却処分されたという。
思わず目をつむってしまうような、残酷で非人道的な行為だ。


このデッドタウン内には今誰も住んでいないが、すぐ隣の地区ではまだ何十軒か家が並んで人が住んでいた。

ホテルもいくつか見られたがどこも営業はしていなかったように見える。
レストランやカフェもほとんどが閉まっていた。でもそこに住む人達は明るく、私が立ち寄った小さなバーでは他のお客さんがタダでビールを振る舞ってくれた。
戦争前の明るい日々を取り戻したいのだろうなあ。

さて、いよいよヨーロッパ最後の国、スペインへ向かいます^^

2012年11月23日

ウェールズ〜イングランド




7:15にダブリン市内からバスで港へ移動。今日はウェールズへ向かいます。

ダブリンからフェリーと列車で北ウェールズのレクサム、またはチェスターまで38ユーロのチケットを見つけたので、そちらを使用。
中央駅に行けばチケットが買えます。
基本このチケットは売り切れることは滅多にないそう。
フェリーなんて何百人と乗れるだろうしね。朝一番のフェリーは乗客数も少ない。

フェリー港でチェックインを済ませ、8時半発のフェリーに乗り込む。
今度のフェリーはなぜかデッキが見当たらず・・外に出て風を浴びたかったが残念。
珍しくいい天気でした。

とにかく眠かったので、ソファを見つけ休憩。
早朝のフェリーだけあって、ソファは寝ている人で一杯。

3時間ちょいでウェールズのホリーヘッド港に到着。
ここでまたイギリス入国の手続き。いくつか質問された気はするが、今回は列車のチケットも持っていたためか以前のように所持金の話などされることもなく通過。ふう。


港と列車の駅はつながっているので、そのまま列車に乗り換え。
12時半発の列車に乗車。景色はまた最高。ヨーロッパの田舎はのどかで可愛らしい。

北ウェールズ、レクサム。
イングランドの人でさえこの街を知らないほど、小さな街。
今回のホストはここの大学で語学留学している日本人学生さんとそのホストファミリー。
久しぶりに日本語で会話すると言葉がびっくりするくらい出てこない!

でもたまには日本人と話すのもすごく面白い。
というより海外に出ている日本人の人って面白い人や考え方が他の日本人と少し違う人が多い。
日本にいたらなかなか知り合えないような人と海外では会えることができる。

そういえば旅していて色んな国で日本人を見かけることはあったが、話すことは滅多になかった。
イランで日本人の方たちと会ってイスファハンを歩いたりしたけれど、それ以来全くなかったなあ。

不思議なのが日本にいればアジア人の区別は簡単に出来るのに、日本から外に出ると、日本人と韓国人の区別が難しく感じること。
感覚が鈍るのか・・。
そりゃあヨーロッパの人が間違える訳だよね。


ウェールズ2日目、バスで近くの街Llangollenへ。
カタカナでこの地名を書こうとしたが無理でした。未だに発音うまく出来ない。
”Thangothen” っぽい発音らしいが、それでもちょっと違う。
ウェールズ語はよく分かんないな。
バスの運転手に行き先を伝えるときは必死でした(笑)。

この日は大雨。
むしろ何でこんな日に外出しているんだと自分に突っ込みたくなるくらい、どしゃ降りの日。


蒸気機関車に乗りたくてLlangollenに来たが、雨のため全日運休。
ううん、残念。

この雨なのでほとんどの店も閉まっていて、おまけに寒いので行き場所に困り・・結局飲むことに。
大好きなサイダー(リンゴ酒)を地元のおじさん達と一緒に。

翌日はまた早朝のバスでイングランド、ブリストルへ。またイングランドに帰ってきました。

 
ブリストルといったらストリートアート。毎年ここではグラフィティフェスティバルが行われ、世界中から有名なアーティストが訪れる。


街中壁という壁を埋め尽くすアート。政治観や人権を訴えるものも多い。

お気に入りがこれ。



2012年11月20日

アイルランドと反カトリック


黒ビールのギネスにJamesonウィスキーと楽しみが多いダブリン♪

北アイルランドもそうだけど、この辺はカトリックキリスト教徒が多く、ヨーロッパの中でも特に宗教を重んじる人の多い地域なのだそう。

10月末、妊娠17週目だった31歳の女性が病院から中絶を拒否され、亡くなったという事件があった。
アイルランドではカトリックの教えに基づき、たとえ母親の命を犠牲にしようとも、中絶を決して認めないと主張する議員が多いのだそうだ。
「科学の進歩が女性を軽々しく妊娠させ、結果子供を捨てるというようなことが起こる、いかなる理由があろうとも中絶を認めない」と。
カトリック教会や糞政治家が彼女を殺した、とダブリン市内でも大規模なデモが行われようとしていた。

今回は母親もその子も亡くなってしまったが、もし中絶していれば母親は生き残り、子供はどちらにしても殺されていた。
中絶を病院が断らなければ、「少なくとも」母親は救われていたのに、と人々はきっと抗議しているのだろう。
ただ、彼女はレイプされた訳ではない。

この子供は夫との間で出来た子で、今回の事件も彼が訴えたことで注目されだしたのだという。
病院は「彼女を救うために」中絶を行うべきだったかも知れない。
でも結局子供は?

殺された彼女はきっとカトリック信者ではなかったであろうし、彼女の夫や市民たちは、政府や教会の宗教的な考えによって殺されたとして抗議している。

中絶しようが産もうがこの夫婦の自由だし、他人の宗教観に自分の人生を犠牲にされるなんて冗談じゃねえって思う気持ちはすごく分かる。
これが例えばイラクで殺される同性愛者の話とかになったら、私だって腹が立つ。
そんなの自由じゃねえかって思う。
でもこのデモの原因を聞かされたときは「何か違わないか?」とモヤモヤしてしまった。

もちろん抗議している市民は中絶に賛成って訳じゃないだろうし、今まで溜まっていた政府やカトリック教会への怒りを今回の事件を機にぶつけているのだろうけれど。

ダブリンでは新聞会社のIrish Independent社の記者さんとカフェでお会いした。
イギリスではIndependentって新聞があるけど、こちらはアイリッシュ版。

その記者さんによると「正直全くインデペンデントじゃねえよ」らしい。
他の新聞社に比べればそりゃあ自由度は高いかも知れないが、俺はこんな報道規制の下で働くためにわざわざインデペンデントを選んだんじゃない、と文句を言っていた。

国民は逆に政府から独立した報道会社だと思って信用してくれている人もいるから、申し訳ない気持ちでいっぱいになる、とも。


ホストは70歳くらいのおじいちゃんだった。心温かくて本当に素敵な人だったなあ。
彼の家には私の他にもベネズエラ出身で英語留学に来ている女の子2人と、仕事を探しているドイツ人の韓国人女の子が泊まっていた。

カウチサーフィンを始めて4年は経っているようで今までに150人以上もの旅人を泊めたことがあるのだとか。

2012年11月18日

北アイルランド


ブラッディサンデー(血の日曜日)で有名な北アイルランド。
造船業もさかんで、沈没したタイタニック号が造られたのもここベルファスト。


Ulsterとは北アイルランドのこと。まだ北アイルランドが英国になる前はこの地域はウルスターと呼ばれていたのだそう。

北アイルランドはイギリス領だが、北アイルランド人の人に「自分はイギリス人だと思うか、アイルランド人だと思うか」と聞くと「アイルランド人だ」ときっぱりと答える。

会話中、「イギリス人はどうなの?」などと聞くと「私たちはアイルランド人だ」と否定されたことも何度か。うーん、ややこしいね。

18日はバスで海岸沿いを北部までまわることに。一日ツアーで16ポンド。
9時にバス出発。


最初のストップ地点がキャリックファーガス城。
1177年にアングロノルマン騎士よってベルファスト入る際の基地として建てられた。
ぶるぶる震えてしまうくらい寒かった・・。


バスからの眺めもまた最高。のどかだね。
運転手さんがたまに解説してくれるので退屈することもなく楽しめる。


途中でこんなお城も。ダンルース城。映画にでも出てきそうだ!


お次は世界の怖い橋ランキングにも入る、Carrick-a Rede Rope Bridge.
Carrick-a Redeとはゲール語で「道の途中の岩」という意味。
350年以上もの間、この橋は漁師のサケ釣りに使われていたのだそう。

橋を渡るのには5.50ポンド払わなければならないが、渡った後の風景もまた最高なのでこれは是非。高所恐怖症の人にはこれは厳しいかな。揺れるし迫力満点です^^


次に向かうはBUSHMILLSウィスキーの蒸留所。
寒い体を温めるためにもやっぱりここはウィスキーが必要だね。というわけで、樽からウィスキーをいただきました^^


最後のストップ地点、ジャイアンツコーズウェー。
火山活動で出来た石柱群の海岸。4万個以上の石柱があるのだそう。
立っている場所にもたまに波が打ち寄せてくることがある。

ベルファストまで戻ったら今度は別のバスでアイルランドのダブリンへ。
北へ行ったり南へ行ったり、今日は忙しい。ダブリン行きのバスは、ベルファストのバス停からほぼ2時間に1本くらいの数で出ている。
チケットはバスの中で購入可。片道13ポンド。事前に買っておけばもう少し安いかも。

昼間は晴れていたのに夜になると大雨。2時間後ダブリン到着。ここからまたバスでホストの家に向かいます。

すっかり忘れていたが、もうアイルランドなのでイギリスではない。
ということはポンドでなくユーロ。同じ島なのにややこしい・・。

長い一日が終わりました。

2012年11月15日

マンチェスター〜エディンバラ


ロンドンからバスで4時間半、イングランド北部の工業都市マンチェスターに到着。
メガバスというバス会社で13.50ポンド。
このバス、二階建てでトイレも付いているしWi-Fiも完備されていてかなり快適です♪


着いたその日の夜は友達とライブへ。グリーンハウス内で緑に囲まれながらのライブ。


レコード屋さんでレコードを漁るおじさん。

分かってはいたけどマンチェスター訛りは非常に分かりづらい。
若い人の英語は特に問題ないのだけど、40歳近くなると急に難しくなる。
私の友達は訛りが強い上かなり早口で話す人だったので聞き取るのがやっとだった。
Fortyをファーティ、Fiftyをファフティなど・・。

しかしそんな彼はいつも他人の訛りについて文句を言っている・・「あいつの英語は訛りがひでえぞ」と。
いや、あんたもだよ、といつも突っ込んでいたが、本人は決して認めない(笑)。


酔っぱらって怒鳴り散らしている人なんかを見ると、ああここでOasisが育ったんだなあとか納得。
雰囲気はロンドンとは全く違う。
ホストの住む住宅街や若い人の服装なんかを見ても、ここは労働階級の人が主なんだなあと感じる。

私が滞在していたのはマンチェスターから20分ほど離れた隣町ボルトン。
どうでもいいが、ここのハイウェイ上での番号(郵便番号なのか?)が666で悪魔の番号。
悪魔ファンがよくここに来るぞ、と友達が言っていたけど悪魔ファンって何なんだ。


最終日は電車に乗ってリヴァプールへ。
一時間くらいで到着。マンチェスターからは往復14ポンドくらいだったかな。
運河が流れていて、街並もマンチェスターよりお洒落。英語は更に分かりづらい。


ビートルズがライブを行っていた
Cavern.
今ではクラブになっていて、Cavern Clubに名前を変更。

マンチェスターからまたバスに乗り、スコットランドのグラスゴーへ。
友達はエディンバラにいるのでグラスゴーから電車で移動。
マンチェスターからグラスゴーは19.50ポンド。イギリスのバス会社National Expressで使えるCoach Cardを買うと便利です。
カード代10ポンドだが、買ったその日から使えるので私はコーチカードを使って10ポンド割引してもらった。


910分にマンチェスターを出て、14:30にグラスゴーに到着。
6時間半の長旅。イギリスのバスはやたら寒い。暖房があんまり効いていないのか・・
しかも窓側に座ると窓ガラスがくもるのを避けるためか冷風が上から吹いてくる。

グラスゴー到着後、列車の駅まで歩きエディンバラ行きのチケット購入。
片道14ポンドは結構高い・・。ちなみに往復で買うと安くなる。

ピーク時(朝のラッシュと帰宅ラッシュ時間帯)とオフピーク時で値段が異なるので注意。オフピークなら往復で12ポンド。


エディンバラといったらこの城。お城の中に入るのには16ポンドだか払わなきゃいけなくて、私は諦めました。

この日は珍しく天気が良く、街の中心部をぶらぶら。


ケルト服着たおじさんをたまに見かけた
お洒落なおじさま達が昼間っからビールやスコッチウィスキー飲んでいます。

私ももちろんスコッチを本場で堪能。
この少し湿った空気と豊かな自然の中で飲むウィスキーは最高だね。

その日の夜は再びグラスゴーへ。
高校の英語の先生Helen-Marieと再会。
去年グラスゴーに帰ってきて今は博物館で仕事しているよう。日本語能力試験も来年受けるのだとか。

エディンバラから次に向かうは北アイルランド、ベルファスト。
絶対おすすめなのが、CityLinkというバス会社。27ポンドでエディンバラ(またはグラスゴー)からベルファストまでの旅。
バス代、フェリー代も含まれています。フェリーだけで予約すると30ポンドなのに、これは安い。

北アイルランド〜アイルランド編へ続く。