2012年6月30日

I'm from Japanと言えること

2週間ほど前にイラン大使館で会ったYaserが聞かせてくれた話を書いてみようかと思います。

彼はイラン生まれのアフガニスタン人。
ビシュケク市内の国立大学で博士号をとったばかりで、アフガン大使館のコンサルアシスタントでもある。
彼の家族はみな大使館勤務。

「君は日本という国に感謝すべきだよ。ためらいなく”I’m from Japan”と言えることは幸せなことだ」
彼から言われたこの言葉はしばらく心に響いた。

もちろん彼には愛国心もあるし、イランで生まれ、アフガニスタンで育ったことを誇りに思っている。

でも、アフガニスタン出身と聞いていい顔をしてくれる人は実際少ない。
イランも同様だ。
彼の生い立ちは誰が聞いても良い印象を受けないのだろう。

アフガニスタンやイラン、その周辺の中東出身の人だけではない。
アメリカ人でさえ、中東を旅行中にイラク戦争の影響でアメリカ出身だということを隠したがる人はいるという。

Yaserがアフガニスタンにいるときに会ったアメリカ人は、トルコの国旗を車につけたりして出身国がバレないようにしていたようだ。
ここで会うアメリカ人は自慢げに母国の話をするが、行く場所によってはそうもいかない。

私は今まで海外で出身を聞かれて、”I’m from Japan”と答えることに躊躇いを感じたことは一度もない。
また、日本出身と答えて嫌な顔をされたこともない。

なんなら、日本人というだけで他とは違うサービスやおもてなしを受けれたりもする。
行く国によって当然態度は変わるんだろうけど、あまり良い印象がないのでは?と思っていた中国でもそんなことはなかった。

何も気にせず自分の国の名前を言えることがどんなに幸せなことか。

こんなこと考えたことなかったけど、改めて日本人であることを誇りに感じられたのでした。
外国に来ていろんな人と話していると、普段気づけない日本の良さが見えてくるものだなあ。この先の出会いでもまた違った視点で日本を感じられるのかな。


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今日最後の授業を終えて、これから私のお別れパーティーです。あっという間でした。
明日から旅のスタート!

キルギスを出たら、しばらくは独裁国家を点々とします!笑
ということは、ブログを投稿できない(開けない)可能性が高いです。

ウズベキスタンもトルクメニスタンもイランも、ネット規制が厳しいようで。
んとかしてブログを更新したいと思うが、次更新できるのはいつになるかな。

では行ってきます〜!

2012年6月24日

ビザ情報


6月に入ってから、「在留許可」の取得に追われていました。
キルギスでは日本人はビザ不要。日本政府がキルギス政府に毎年補助金をあげているから。でも60日以上滞在する場合は警察からの許可を得る必要がある。

マネージャーとまずはイミグレセンターへ。散々待ったあげく、「ここではない。別へ行け」と他の場所を指定される。
言われた通りに行くと、そこでもまた別の場所を指される。
そんな感じに4カ所まわり、最後に行った場所では最初に行った場所を指されるという始末。

また振り出しに戻ってしまった。

そんな感じで一週間以上も在留許可を得るために動き回り、すでにキルギスに来てから60日以上が経ってしまったため2000ソム(約40ドル)の罰金。

インターン先からお金が出たのだけど、これ本当は450ソムみたい。
結局1550ソムは彼らのポケットマネーになった訳だ。

先週から今週はウズベク大使館、日本大使館、そしてイラン大使館へ。

まずはウズベク大使館。受付は火曜日〜金曜日の10時から12時まで。
ビザ申請の場合、あらかじめ電話で予約を取る必要がある。
担当者は英語を話せるのでわざわざ現地の人に電話を頼む必要はなし。

612日の10時に申請用紙、パスポート、パスポートコピー、写真1枚を持って来なさいと言われた。大使館前には何人かが待っていて、職員に呼ばれた者から中に入れる。

「来週の木曜日(21日)に電話して。That’s all」と、ほんの一分で終了。
パスポートは預ける必要がないのでその間別のビザを取得することも可能。

ビザ代は$15。お釣りのないようにもっていかないと帰されます。

さて次はイランビザ。
日本大使館へ行ったのはイランへのインビテーションレターをもらうため。実際、独身女性のイランへの独り旅はかなりビザ取得が厳しい。公式には認められていない。独身女性がキルギスでイランビザを取得する方法は以下。
・現地の友人にインビテーションレターを発行してもらう(最初これを試そうかと思ったが、問い合わせたところその友人はレターを在キルギスイラン大使館へメールで送り、またイランの外務省へ出向いて直接提出しなければならないとのこと。私の友人は首都テヘランから離れた場所に住んでいるためこれは諦めた)
・旅行会社を通してネットでビザ申請(€30 払う必要あり)
・日本大使館からレター(無料)を発行してもらう(がしかし日本での取得は不可)

ちなみにビザ用の写真では女性はヒジャブ(ムスリム女性が頭に巻くスカーフ)を着用して頭と首を隠した状態で撮る必要がある。
イランでは緑・赤・ピンクの色は禁止されているため注意。
これはイスラムとかではなく、イラン政府が規制しているだけなので他のイスラム国家では特に気にすることはない。

国旗に緑と赤が使用されているのにも関わらず、それらの色は「反発」や「抵抗」を意味するからなのだそう。

日本大使館でレター発行をお願いしたところ、「現在退避勧告が出ている地域のある国へのレターは発行できないと日本外務省から規定されているため無理」と断られた。アフガンやパキスタンとの国境付近は退避勧告が出ている。「行くためにはどうしても日本大使館さんからのレターが必要なんです。退避勧告の出ている地域に行きませんし、イランには友達がいるので一人行動もしません」と、地図上で行く場所を具体的に伝え、何度も何度もお願いしたところ、「ちょっと待って」と言われる。30分くらい待ったところ、「今回は特別に許可が下りたので発行します。退避勧告の出ている地域への観光は絶対にしないと約束してください」との答えが!!!よっしゃー!!!!!!

書類にサインをし、行く地域を伝え、レターゲット!もう嬉しくて嬉しくて写真撮っちゃったよ。


ここで70歳くらいの日本人のおばあちゃんに会った。
一人旅をしていると。英語もロシア語も当然話せない。強いなあ。こんなおばあちゃんになりたいね。

さて、その後イラン大使館へ。
日本大使館からもらったレターを見せるとすぐに申請用紙をくれた。若い職員で英語も話せる。 ウズベク大使館の女性職員に比べてかなり親切だ。
その後ビザ代(€40)を支払うため指定された銀行に行きお金を払う。イランでは国際サービスなるものは一切通用しない。海外保険もイラン用に取得する必要があり、指定された保険会社へ。1ヶ月滞在の場合は€ 23。正直これ一番無駄な気がするのだが、取らないとビザを貰えない。

イラン大使館で会ったアフガン出身のYaserと仲良くなり、ヒジャブを買いに行き、写真を撮る。
全て揃ったところで再び大使館へ。全て提出し、翌日の午後ゲット!

大使館は月曜日〜金曜日の9時から12時、15時から17時まで。電話で確認したときには午前しか開いていないと言われたが、職員のNazimと仲良くなったため15時にビザを受け取りに行くことができた。親日家で面白い人なのですぐ仲良くなれます。

とりあえずビザ情報こんな感じです。職員と仲良くなると融通効くようになるのでまずは笑顔で^^

2012年6月9日

山、山、山



先々週の土曜日、ここに来て初の食あたり。
金曜の夜に食べた物があたったのだろうけど、原因は不明。きのこかな?
朝4時に吐き気で目が覚め、その後8時から仕事。さすがに朝の授業は代わってくれる先生もいない(みんな寝てるし・・)。

授業中何度か抜けてトイレで吐くなど。この日が初授業の生徒も居たというのに、きっと私の第一印象は「ゲロ」だろうな。
一旦帰宅して1時間仮眠。

その後3クラスやって、帰ってバタンキュー。正露丸に非常にお世話になりました。


翌日はアメリカ人パッカーのDylanが再びビシュケクにやって来たので山へ。
途中までタクシーで行き、その先はヒッチハイク。
トルコ人の家族が乗せてくれました^^礼を言って川沿いへ。

まだお腹の調子は良くなかったのだけど、ウオッカを飲んだら大分すっきり^^
なるほど、これが足りなかったのね。

絵を描いたり芝生の上で昼寝をしたりと、静かな山の中でのんびりと休養。やっぱり山は最高です。
これは恋なんじゃないかと思うくらいに山が好きで好きでたまりません。

帰りはスクールバスをヒッチ。
乗っていた子供たちは大興奮。1315歳ほどの子供たちがロシア語を教えてくれたり、一緒に歌を歌ったり。
必死に英語で話そうとしてくれる姿もまた可愛い。


先週の土曜はJapan Festival「さつき祭り」。
アニメのコスプレした子たちが歌やダンスを披露したり、折り紙や和太鼓体験のブースで在キルギス日本人が現地の子供たちと交流していたり。あれ、こんなに日本人いたんだ、って思った。
 

日曜は少し離れたChon Keminという山で乗馬。
雨の中4時間ほど馬に乗って、山の中を走り回る。前回の乗馬よりも大分上達^^その後4日間全身筋肉痛でしたが。

山に囲まれた静かな場所で過ごせて馬も幸せだろうなあ。そこに住む子供たちも、目の輝きがビシュケク市内の子供たちとやっぱり全然違うんだよね。
テレビもインターネットもないけれど、自分たちで遊びを考えて、自然を目一杯堪能しながら暮らしている。

ビシュケクではほとんどの若者がロシア語を使っているけど、ここでは皆キルギス語。
ある意味、本当のキルギスタンを味わえる場所です。

乗馬の後はユルタと呼ばれる伝統的な移動式テントで夕飯。キルギスの旗の中央部分は、このユルタの天井をイメージしてデザインされたもの。



その日から2日間はDylanとその弟Chrisをホスト。
もう1ヶ月以上私のホストが帰ってきていなくて、なぜかキルギスで一人暮らしをしている。家賃は学校側が払っているので気にしなくていいのだけど。

最近は日本食だけでなくキルギス料理にも挑戦している。
毎回どこか足りない気がするが、きっと塩と油の量だろう。

どこからか日本人の先生が働いているという情報を聞きつけ、日本人の生徒2人が母親と私の職場にやってきた。
10歳と12歳の姉妹。彼女たちの英語は基礎中の基礎レベル。
まだロシア語も話せず、一度体験で文法のクラスを受けたが、全く理解できなかったとのことで、私が家庭教師をすることに(職場には内緒)。

両親はJapan Shopをカザフスタンとキルギスで経営。家はかなりの豪邸。
普段英語で英語を教えているので、日本語で英語を教えるということに少々戸惑った。

日本語と英語、両方で教えてみてわかったけど、やっぱり英語は英語で習う方が覚えが早いと感じる。
日本語に訳しながら理解していくとどうしても日本語で考えて英語を話すくせがついてしまうんだよね。

私もここに来て英英辞典を使って授業の準備をしているけれど、逆に私が新しく覚えることが多い。
私の職場では世界中あちこちから来た先生たちが教えているから彼らのほとんどは私と同様ロシア語を話せない。
だから英語で教えるしかないし、生徒たちもそれを分かっているから英語で質問し英語で理解する。
教えるのが難しいなと感じるのは、Even thoughratherなど。
これはもうとにかく例文出しまくって使い方を覚えてもらうしかない。

ここにいるのもあと3週間ほど。来週はウズベキスタン大使館へ行ってきます!