2013年2月28日

パレスチナ自治区




パレスチナ自治区、Ramallahへ。

エルサレムからは30分置きくらいにバスが出ていて、たった30分で到着。
運賃も安く、7.5NIS

ここに来ると、いよいよパレスチナだな、と改めて感じる。
街の中心にはパレスチナの旗がなびき、ヘブライ語は見かけない。

何より困ったのがSIMカード。
イスラエル側で買ったSIMカードを使っていたのだけど、街の一部(イスラエル軍の基地周辺)でしか電波が通らない。
ここはパレスチナ、あっちはイスラエル。

エルサレムからたった30分の距離なのに。衝撃である。

またこれはイスラエル内でもそうだったが、他のアラブ国からの電話も届かず。
こちらから掛けることは可能だというけれど、なぜかナイジェリアに電話しても繋がらなかった。なぜナイジェリアまで・・?


日本よりお先に、満開の桜を観賞。

丁度この日、ラマッラーから1時間程の街ヘブロンでイスラエル軍とパレスチナ人の衝突があった。
刑務所に入れられていたヘブロン出身の男性Jaradad.
彼が取調中に「心臓発作」で亡くなったというニュースが流れた。だが検死後、彼の遺体から複数のアザや怪我が見られたことから、死因は心臓発作でなく拷問死だった可能性が高いとされた。

とりあえず私もヘブロンへ向かってみることに。


着いてしばらくはのんびり街中を歩いていると、急に子供達がバーと走ってくる。
何だ何だ、とその先を見るとイスラエル軍がゴム弾を発砲していた。


車両通行止めのために道の真ん中に置かれた炎。
その先にはイスラエル軍の兵士が見張っている。

イスラエル軍に向かって「道をあけろ!」「パレスチナから出てけ!」と叫ぶ子供達。
石を投げ、爆竹で脅す子供達もいる。

  
この日は大体30分に一回くらいのペースでイスラエル軍がマーケットや道の先から走ってきてはゴム弾を発砲し威嚇。彼らが来ると子供達も一斉に逃げ出す。

正直、この日ここにいたのは10代の子供たち。10歳以下の子供も何人かいたと思う。
そんな彼らに対してイスラエル軍はなにムキになっているのか・・。
相手は小さな子供。こんな言い方はひどいかも知れないが、何もできない子供達だ。

一方イスラエル軍はゴム弾で彼らの目を狙ってくる。目元にアザのある子供や眼帯を付けた子供を何人も見た。兵士にお腹を思い切り蹴られた子供もいた。

周辺にはパレスチナ警察もいた。
だが残念なことに、彼らは何もできない。ただ「もう良いから帰れ」と子供達に促すだけ。

 SHUHADA STREET. アパルトヘイトストリートとも呼ばれている。 

SHUHADA STREETの先に住む人は、市街に来るためには毎日チェックポイントを通り、荷物をチェックされる。
ただ買い物に来るだけ、学校へ行くだけ、仕事に行くだけなのに、だ。


イスラエルによって閉ざされたシャッター。かつてここには多くの店やレストランが並び、賑わっていた。今は閑散として人々も覇気を失ってしまっている。


チェックポイント先のデッドタウンと化した街。
イスラエル人は車で移動出来るが、パレスチナ人がここで車を運転することは禁止されている。

エイブラハムモスク。
モスク内に入るのにも3つのゲートを通らなければならず、行く度に「銃やナイフは持っているか」と聞かれる。パレスチナ人のモスクなのに、入り口にはイスラエル軍の兵士が立っている。

私がモスクへ入る際、彼らは一度も私のリュックの中身を見なかった。私の前に並んでいたパレスチナ人の女性は荷物をチェックされ、爪切りを一時預かられていた。どちらかと言えば私の方が部外者なのに、これはおかしくないか。

 
友人が最近始めた”Hebron Tour”に参加してみた。
ちょっと面白かったのが、イスラエル兵のすぐ隣で「ここはイスラエルに占領されている場所だ」「彼らはいつも俺らを見張っている」とツアーガイドの友人が説明していたこと(笑)。イスラエル兵も苦笑い・・。


毎日マーケットに通い、ここで子供用服を販売していた人とよく話をしていたけれど、経済的にかなり厳しいと話していた。
日によってさまざまだが、一日に稼げるのは200NISほど(5400円)、先日のようにイスラエル軍との衝突のあった日にはたった20NIS500円ほど)しか稼げなかったという。

 
今では荒れたイメージばかりのヘブロン、街並はとても美しい。


奥に見える壁の先はイスラエル人移住地区。
向こう側に行くには遠回りしてチェックポイントを通らなければならない。

 
マーケットの天井にも格子が張られている。

正直ここにいるとき、「次は何が起こるのだろう」と期待に胸を膨らませていた自分がいた。
まるで何か起こって欲しいかのように。

初日、睡眠不足でバスで爆睡していた私が、ここに来て疲れも眠気も忘れ、イスラエル軍とパレスチナ人の様子を見に走って飛び込んでいった。
風邪も引いて体調は最悪だったのに、ここではそんなことをすっかり忘れてしまうほどだった。

自分が残忍な人間に見えてしまったんだよなあ。
彼らにとっては辛いこと、苦しいことが、今の私には興奮材料となっている。

ジャーナリストというのはこういうものなのか。
人の不幸で食っていくというのは心苦しいものでもある。

そんなこと思いながら再びラマッラーへ。
ヨルダンへ向かいます。

2013年2月24日

イスラエル



イスラエルの国境からはバスでエルサレムへ。
76NISで所要時間は約4時間。(この日は道が混んでいたため通常より時間がかかったが、ラッシュ時でなければ2時間で着く)

エルサレムのバス停でum alFahm(ウーメルファヘム)行きのバスを探す。
本数は少なく、次のバスは23時半発。

夕飯を食べつつ、バス停でのんびりしながら待つことに。
エルサレム−ウーメルファヘム間は36NIS1時間半で着く。


ウーメルファヘムの風景。ここはアラブ人の多い街で、モスクが多い。
レストランなんかもアラブ系の店ばかりだ。


ホストのお母さんが働く学校へ。
英語の授業に参加させてもらった。タイミングのいいことに、クラスでは「となりのトトロ」を見終えたあとで、物語について英語でディスカッションしていたところ。
「日本には本当にトトロがいるの!?」と子供達が質問してくる。うーんわからないけど、いるかもね^^


ウーメルファヘムから30分ほどの街、ネザレス。

次に訪れたのはテルアビブ。
この週末はユダヤ教の祝日プリム。
アメリカでいうハロウィンみたいなもので、皆コスチュームを着て街の中心部で行われているパーティーへ。


マリオとルイージもいれば・・


ホットドッグわんちゃんも!可愛い!!

イスラエルではほとんどの人が英語をペラペラに喋る。
「なぜこんなに英語を話せる人口が多いのか」と聞くと「私たちは米国との関係がとても強いから」って。
確かにその通りだな。

ちなみにイスラエル内のアラブ人の多い町ウーメルファヘムやネザレスでは、学校で7歳からヘブライ語を学び始める。
アラビア語を話す人が多い地域でも、病院のお医者さんはイスラエル人、アラビア語を話さない。道路の交通標識もヘブライ語で大きく書かれていて、アラビア語は小さな文字。
嫌でもヘブライ語を話さなければ暮らしていけない。

一方、イスラエル人でアラビア語を話す人は非常に少ない。
学校では第一外国語として英語、その後、第二外国語としてもちろんアラビア語を選択する者もいるが、多くはフランス語やドイツ語、スペイン語を学ぶという。

「アラビア語って数字の書き方まで違うじゃない。あれ狂ってる!」とテルアビブ出身のシラ。
うーん、実は日本語にも漢数字があるんだな。

テルアビブからは再びエルサレムへ戻る。
エルサレムでどうしても泊まってみたかった”Faisal Hotel”(秘密結社ホテル)に泊まることに。この旅で2度目のホテル泊まりだ。

ところがこちらのFaisal Hotel、名前を変えてNew Palm Hotelになっていた!
入り口には小さく”Faisal”と書かれていただけ。

きっと名前が問題になったのだろうな・・笑

ホテルオーナーや従業員は皆アラブ人。
アラビア語が飛び交い、泊まりにきている客もなぜかアラビア語を話せる人がやたらと多い。



ホテル前のダマスカスゲート。
ここから長ーいマーケットが続く。


マーケットの中にもイスラエルの治安警察が常に配備されている。
ただのマーケットなのに!彼らにとっては「ただいるだけ」かも知れないけれど、これ終日監視されている側からとったらかなりのストレスだわ。


Western Wall「嘆きの壁」
ユダヤ教徒の男性は頭に小さな帽子をかぶり、壁に向かって礼拝。
正ユダヤ教徒は黒いハットに耳元からのチョロ毛、全身黒にまとったスーツがお決まり。


シナゴーグがぽつぽつと。
後ろを振り向けばイスラム教モスク、また別の場所に行けば教会。
さすがは3宗教の聖地、エルサレム。

このとき風邪がひどかったので、エルサレムでは残念ながらいい思い出なし・・。くっそ暑いアフリカから来た私にはイスラエルは寒すぎる・・。

2013年2月19日

エジプト〜イスラエル入国



カイロからは夜行バスでシャルムへ向かう。
途中検問を何度か通る。簡単な荷物チェックとIDチェック。パレスチナへ行く、とは言わずにタバへ行く、と言っておいた。

いつもは全く寝られない夜行バスだがこのときは4時間ほど熟睡。
7時、シャルムに到着。タクシーでタバ行きのバスが出ているバス停へ。ゴツゴツした山々に囲まれた街。一気に疲れも吹っ飛ぶね。


シャルムからタバまでは35ポンド。8時半にバスは出発。


タバまでの道は紅海を望める絶景ロード。
海岸沿いには藁葺き屋根の家がぽつぽつと並び、
海の先にはヨルダンやサウジアラビアが見える。

12時、国境のタバに到着。バス停から歩いて4分で国境。
出国税?なのか分からんけど4ポンド(50セントほど)払わされる。

エジプト出国審査。
これは知っている人も多いと思うけれど、イスラエルの入国スタンプがあると、多くのイスラム国家(イラン、イラク、シリア、サウジアラビア、イエメン、リビア、スーダン等)の入国が難しくなる。

イスラエル入国時だけでなく、近隣国から出国する際も、国境スタンプでイスラエルに入国したことがバレてしまうので別紙にスタンプを押してもらう必要がある。

出国審査間に「ノースタンプでお願いします」と一言。
「なぜだ、ここはエジプトだぞ」と言われたので「どこに行ったかバレちゃうから、頼む!」とお願い。

代わりに別紙にスタンプを押してくれ、「またエジプトに来る際はこの紙持ってきてね。じゃないと出国してないことになっちゃうから」と。ありがとう!!

少し歩いて、今度はイスラエル入国。
まず入り口で女性警官からいくつか質問された。
「渡航目的は」「銃は持っているか」「エジプト人からイスラエルに持ってけと言われて渡された物はあるか」など・・(笑)。当然全て「ノー」と返事。

次は男性職員。また同じ質問をされ、パスポートをなぜかどこかへ持っていかれてしまう。「おい、私のパスポートは!?」と聞くと「大丈夫、あとで返すから」と言われ、私は荷物検査へ。

女性警官に別室に連れて行かれ、身体検査。
靴を脱がされ、靴底の中まで見られる。
下着の中まできちんとチェック。前から後ろから、右から左から全て検査し、ようやく「OK」のサインが。ふう・・。

お次ぎはバックパックの中身。
シーシャの入った入れ物を見て「これは何だ」と。いやいや、ただのシーシャ(水パイプ)ですよ。衣類や寝袋の中も見られ(これ、後で詰め直すのが面倒・・)、カメラの中の写真も数枚チェック。おそらく見られるだろう、と思っていたのでエジプトのデモの写真なんかはパソコンのアプリに移しておいた。

全て終え、パスポートも返してもらったところで、また別の女性警官のもとへ。
パスポートを渡すと同時に「ノースタンプでお願いします!」と一言。
もちろん「なぜ?」と聞かれるが「この後イエメンに行くから(行かないけれど)」と言っておいた。
パスポートをペラペラとめくり、アフガニスタンビザを見たところで手を止める。
警官「なぜアフガニスタンへ?」
私「観光です」
警官「アフガニスタンに観光?」
私「美しい場所がたくさんあるよ」
警官「ふうーん」

次はイラン。
警官「イランに行った目的は?」
私「観光です」
警官「何処行ったの?友達がいるの?」
私「マシュハドとテヘラン。友達はいないよ」(全て嘘)
警官「危険な目に遭わなかった?」
私「特に何も。平和な国だったよ」
警官「誰かにイスラエルのこと話されたりした?」
私「誰にも。友達いないし」

今度はモロッコ。(なぜモロッコまで・・)
警官「モロッコも観光?」
私「イエス。スペインからフェリーで行ったよ」
警官「旅が好きなの?何で旅するの?」
私「もちろん。自然や文化に興味があるから」

そしてようやくパスポート返してもらい、無事ノースタンプでイスラエル入国!

こちらが入国用チケット。
意外とスムーズにノースタンプには対応してくれた。同じような質問はイギリス入国時にも聞かれたし、たぶんヨルダン側から入国するよりこちらの方が楽なのでは、と思う(ヨルダン側から入ったことはないけれど、話に聞くともっと面倒くさそうだ)。

2013年2月17日

エジプト、カイロ



カイロ到着日は終日ホスト宅でお休み。
ここでのホストは3ヶ月前シリアから避難してきた家族。

翌日金曜日はタハリール広場へ。政府反対派によるデモが始まろうとしていた。

金曜日の昼の礼拝が終わったとたんに始まるデモ。
女性も男性もエジプトの国旗を手に「大統領出てけ」と叫ぶ。
金曜日に限らず毎日抗議の声がどこかから聞こえてくるが、金曜日はイスラム教の休日なので人も集まりやすく、大規模なデモが行われる。


地下鉄内でも抗議は続く。
カイロの人はもうこんな状況にも慣れていて、突然地下鉄内に抗議者たちが乗り込んできても知らんぷり。



この日はカイロ大学前でも別のデモが。こちらは政府反対派に抗議するデモで、政府反対派のデモより大規模。
ヒゲを生やした年配の人が多く、家族連れもよく見かけた。

なんとなく、政府反対派のデモに居た人に比べてお偉いさんぽい人が多い気もした。
顔つきも政府反対派デモの人たちとはどこか違う。
闘争心むき出し、というよりニコニコ笑ってお茶飲みながら仲間と会話している人が多い。

これは街角で見かけた子供達。
ほんの10歳の子供達が「大統領出てけ!」と叫ぶ。
私からしたらお祭りで練っている子供達みたいだ。きっと子供達の目には、抗議デモで叫び暴れる大人達がかっこ良く見えるのだろう。

最近、女性がレイプ犯に対して抗議デモを行った。
今回のデモにも女性はたくさん参加していたが、優しい男性たちが手をつなぎ女性を囲んで、誰も彼女らに手を出せないように守っていた。

私がデモと一緒に歩いているとき、誰かが頭を触った。
混乱した中だったし特に気にしていなかったのだけど、それを見た別の男性がキレて、
「なぜ女の子の頭を触った!」と喧嘩が始まる。
別の人たちにも「大丈夫?」と聞かれたが、正直頭を触られただけなので何ともない。
でも今みんな敏感なんだなあ。

女性に触ったらペ◯スを切るぞ!というポスター。もちろんそんなことはしないけれど。

カイロに着いて風邪が悪化したのでここではほとんど動けずホスト宅でお休み。
ピラミッドにも行ったが期待がでかすぎたのか感動が少なかったなあ。

それより街中にあるモスク。夜はライトアップされていて美しい。


エジプト、アフリカではおそらく最も観光客の多い国の一つだったであろう。
だが革命後、観光客の数は一気に激変。

街を歩いていても、ピラミッド周辺にいても、観光客をほとんど見かけなかった。
革命前は1000万人ほどの人が観光業や観光地周辺でお土産屋さんを経営していたという。
その多くが今は職を失ってしまい、強盗やスリを犯す者も増えたという。

街中では壊されたATMをいくつも見つけた。

それでもエジプトの人は明るくて、一人で歩いていれば色んな人が助けてくれる。
中には後をついてくるような不審者もいるけれど、道を聞いたら手をつないでその場所まで連れて行ってくれた女の子もいた。

キリスト教徒とイスラム教徒のバンド、"Resalet Salam"
とにかく歌声が素晴らしい!賛美歌やイスラム教歌を皆で歌う。5月に来日するようなので、気になる人は是非^^
(アラビア語)