2014年3月10日

卒業旅行:エチオピア北部ダナキル低地へ




旅の相方みっちーがゲスト寄稿してくれました!
以下ご一読を!

3月上旬から約2週間かけて、相方の美優とアフリカ東部、コーヒー豆で有名のエチオピアに行ってきた。

アディスアベバの空港には深夜に到着。
税関には長蛇の列ができ、通過するのには数時間かかりそう。早速アフリカクオリティの洗礼を浴びたようだった。

ただ、日本でビザをとってこなかったので、係員に連れられて別のターミナルへ。20ドル払ってすぐに通過できた(こっちの方が早い)。深夜着でも到着ビザは取得可能。
荷物は無事届いていたが、同じ便にいた別のパッカーには届いていなかった。ここでもアフリカクオリティ。


アディスアベバの空港でホストのイェファトとヨナスと合流し、タクシーで(250ブル=約1200)街中にある家へ。予想はしていたが、とにかく埃、埃、埃。



ランチで出てきたのは、エチオピア料理の代表格「インジュラ」と呼ばれるもの。
下に敷いてある薄い生地はスポンジ状で、ピザのような形態をしている。食べると少し酸っぱい味。それを炒めたものに塩コショウをかけたもの。これが本当においしい。
食に苦労せず、且つ生野菜をたくさん口にできたことは大きい。
インジュラは通常、そのままでてきて、上に野菜、各種ソース、スパゲッティ、豆etc…と色んなものをとにかく組み合わせて食べる。
食は、このインジュラとスパゲッティの2パターンしかないと言い切っても過言ではない。

エチオピアの人間は、温かい。けれど、「お金が絡まない時は」、という条件付きだ。エチオピア人にとっては、日本人=お金持ち、エチオピア人=基本貧しい。当たり前に日本人がお金を出すべきor分け与えるべき、という思考回路ができあがっているようだった。

現地の人は、とにかく怒鳴り合い、そして揉める。一通りやり合って、そしてよくわからないが、合意し、打ち解ける。さっぱりして良いのだが、言葉もわからない僕たちにはなんだかどうも変な感じ。

高額なツアー参加を避けたく、ホストの友人ヨナスを頼ってダロルへ向かった。

が、結果的に費やした金額は、ツアー料金と変わらない。加えて余計なストレスと恐怖を被った。後から後から、これは○○代だから払わなければならない、と止めどない追加請求。終いには、俺に払え、とホスト友人ヨナスが言い出す始末。
数日間に渡って仲良く打ち解けたと思っていたのだが、少し残念。


それでもダナキル砂漠に広がるダロルは絶景。地球上で最も暑い地域というだけあり、車に入る風は熱風。水が本当に貴重に感じられた。
先日別の友人とアメリカ・グランドキャニオンに行ってきたが、今回のエチオピア渡航は苦労もあり、それを遥か上回る感動があった。多くのバックパッカーから「一番良かったスポット」として名が挙がるだけのことはある。


エチオピアを旅して、彼らは目の前のことをみて、感情的になり、毎日を生き抜いていることを感じた。そして、先のことばかり見据えて、今日を生きる我々がいる。後者を否定的にみていたが、違う。それは国民としての強さであり、その結果今の日本があるように思えた。

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以上、相方みっちーのゲスト寄稿でした!

上にもある通り、ツアーが嫌で自力でダナキル低地まで行くことにしたのですが、エチオピアを旅するのなら絶対にツアーにすべき。
ツアー嫌いなパッカーの気持ちは分かるが、どうせ後で請求されるなら、先に全部払ってしまった方が断然気持ちがいい。

せめて時間があったら、と思うが、卒業旅行なので無限に時間が使える訳でもなく。
まだ学生の私たちは、お金に余裕がある訳でもない。時間かお金、どちらかが無限にあればもう少し落ち着いた旅ができたのになあ、って思う。

今回エチオピアに行ったのは、エルタアレ活火山を見るためだった。大地溝帯が通るエチオピアでは、火口部から内部の溶岩を見下ろすことができる。

これを満点の星空の下、それから朝焼けの光と一緒に見ることがエチオピアに来た最大の目的。

だが、ここでも「時間」「金」という壁にぶつかり、エルタアレへ行くのは叶わず。
エルタアレに行くには政府からの許可も必要で、政府に保障されたツアーに参加するのが不可欠らしい。

ツアーは1000ドル。
車一台分の値段なので大勢いる方が得なのだが、護衛を4人乗せるスペースはとっておかなければならない。

というわけで、私たちはダナキル低地を2日間でまわることに。
以下、ツアーなしでアディスアベバからダナキル低地まで行くのに掛かった費用。

・アディスアベバ〜メケレ(ミニバス)880ブル/一人(荷物込み)
・メケレ〜ダロル レンタカー2日間 8000ブル/一台
・途中の村で払う通行料 400ブル
・ダロルのキャンプサイト 60ブル/ベッド一台
(本当はここに滞在するのに460ブル必要。私たちは本当にお金がなかったのでまけてもらった)
・キャンプ地〜ダナキル低地までの護衛兵+現地ガイド 1500ブル
・運転手への謝礼 600ブル

これらに加え、同行者の交通費と食費、ホテル滞在費も支払った。ツアーで行くのも高いが、結局は同じ額がかかる。金と労力をとられるだけなので、私たちのように「自力で行こう」だなんて決して考えない方がいいと思います

ここまで文句ばかりだけれども、お金と時間さえあればエチオピアは旅行するのに最高の国。


ダナキル低地へ行く前夜は、キャンプ地で一泊。買っておいたインスタント麺を自前のバーナーで自炊。こんなチンケなラーメンも、疲れた後に食べると御馳走に感じられる。


夜は満点の星空の下で眠る。昼間は絶えられないほど暑いが、夜は涼しい風が吹いて心地良い。虫もほとんどいないからマラリアなど気にする心配もないし、ハエに起こされることもない。

ダナキル低地では、黄色に染まった硫黄泉と、油を含んだ赤い湖、塩でできた大渓谷、そして真っ白な塩湖の4カ所を見て回った。どれも自然が作り出した大絶景。お金のことも、むさ苦しい暑さも、移動による疲労も、全て忘れさせてくれる。

 
硫黄泉に行くまでは岩石を少し登る。標高はすでにマイナスなので、いくら登っても息が切れることはない。


とても自然の色とは思えない程、鮮やかな黄色で染まる硫黄泉。ボコボコと硫黄が湧き出る音がしていた。

すぐ目の前にはエリトリア国境。
かつてエリトリアとエチオピアは戦争していたこともあり、ここは武装した護衛兵がいないと立ち入ることのできない地域だ。



赤く染まる油の湖。
肌にいいと言われて思わず両手で触ってしまったが、ベタベタするので注意(油だから当然だけど)。


塩でできた渓谷。

塩湖。周りでは職人さんたちが塩を採取していて、採れた塩をラクダやロバの背に積んでいた。辺り一面、白!塩湖から吹く風は少し冷たくて気持ちがいい。


移動中はラクダとロバの大群が移動する真横を何度も通った。ラクダやロバの足を引いてしまうのでは、と何度ヒヤヒヤしたことか


ちょっと市街を離れれば、木の枝で組み立てた民家がポツポツと並ぶ。

移動中はとにかく暑いので、風通しの良い服を着て、なるべく直射日光を避けていたほうがいいかも。
移動中は軽く熱中症になった。
買い溜めておいた水も、数時間車内に置いておけばぬるま湯になってしまう。

6時間ほどの移動を終えてから飲んだコーラは極上の贅沢品に思えたくらい。

これまで旅を一人でしてきた私にとって、誰かと海外を旅するってのは初めての経験。
ちょっとトイレに行きたいときとかに荷物を見ていてもらえるのは本当に楽。
でも何より、感情を共感し合えるのがいいよね。

男と一緒か女と一緒かでも大きな差はあると思うけど、男と一緒にいると安心感は全然違うね。

一緒にいたエチオピア人はかなりのチャラ男で、一瞬でも目を離せばそこらの女の子をナンパしていたほどのやり手(彼はエチオピアで「モテる顔」らしく、ナンパした女は90%の確立で落ちていた)。
一方、色気のない私は彼の眼中にはなかったようだが、それでも一応女ですから(-_-)。油断は禁物です。

ちなみに、エチオピアの女性はめちゃくちゃ美人です。
スタイルもいいし、顔立ちがくっきりしていて女の私でも見とれてしまったほど。
エチオピアの第一印象が次から次へと目の前を通り過ぎる美女だった。
男同士で旅するのならエチオピアはかなりお勧め^^

少しシャイなエチオピアの女性が日本人に興味を示すかどうかは分からないけれど
いつか絶対にエルタアレを見に行くぜ。金と時間に余裕ができたらね。



2013年3月10日

帰国


  

カタールのあとマレーシアに3日だけ寄って帰国した訳ですが・・。


カタール、ドーハ。
ビルばかりの小さな街で、正直特にすることがないのです。

感動したのはガソリンの安さ。ただ地下鉄もなければ公共バスもないので移動が大変。
車がないとやっていけない世界。

マレーシア、クアラルンプール。
お腹を壊してトイレとベッドを往復していた記憶しかない。

見たいものとかいっぱいあったのだけど・・(泣)。

  
ゲロゲロ吐きながらの状態で飛行機へ。
日本に向かう飛行機、きっと色んな思いが込み上げて泣けてくるんだろうなとか思っていたが、それどころじゃない。

機内食がなかったのが唯一の救い。匂いでやられずに済んだ。
トイレと近い席だったのもラッキーだったわ。

1022時半、羽田空港に到着しました。
1年の旅を終え、無事に帰国です。

まずは今まで陰ながらに支えてくれた皆さまに心からのお礼を。
ありがとう。

行った国、39カ国。
キルギスに3ヶ月いたので実際に旅していたのは9ヶ月くらい。

たくさんの人に助けられたなあ。
各国、各地域でお世話になったホスト、84人。
でも84人のホストの家族や友達などを入れたらもっとだろうな。

ホストだけでなく、道端で助けてくれた人、移動中に話しかけてくれた人、自分の携帯を貸してくれてホストに電話させてくれた人・・もう言い出したらキリがないくらい、どこでも誰かが必ず助けてくれた。

ニュースでネガティブな情報ばかり流れてくるような国、
中国も含めアフガニスタンやイラン、アフリカ諸国やイスラエル・パレスチナなどに行っても、
いつも温かい人が迎えてくれて、優しくもてなしてくれた。

危険な場所ももちろんあったけれど、それ以上にそこで見た美しい自然やのんびりと暮らす動物たち、
マーケットでの美味しそうな匂いや明るい人々の印象はやっぱり強い。

いつ何があるか分からないような状況の中でも、今を大切に生きている。

よく聞かれるのが「どこの国が一番好き?」って質問。

これ実際かなり難しい。好きな国なんていくらでもある。何が好きかにもよる。自然、文化、歴史、食べ物、音楽、便利さ、物価、あとみんなが気になるのは美女が多いかどうかとか?

難しいけど、もし今どこかに戻れるとしたらそれはイランだなーって思う。
一ヶ月かけて旅したイラン。
人がとにかく親切で、文化に歴史に自然に何もかもが詰まった国。
そして政府に自由を奪われながらも、若い子達がこっそり楽しみを見つけて、
自分たちなりに毎日を充実させていることに一番惹かれた。

日本ではそんなことする必要ないからね。

訪れたメディア組織・会社は約20件。
中でも特に印象が強いのがトルコのディヤルバクルにあるクルド語新聞社Azadiya Welat. 
そこで働く記者、編集者のうち70%が刑務所にいるという、トルコの報道自由度の低さを改めて知ってしまった訳ですが。
社長室にはトルコ政府軍に殺されたジャーナリストたちの写真が並べられていました。

記者や編集者の多くは女性だったのもまた印象的。



旅をしていれば嫌でも集まる、世界中のコイン、紙幣。

それからSIMカード。
古いSIMフリーのiPhoneと、たまにNOKIAを使っていたのだけど、SIMは特にアジアやアフリカでは安く手に入るので便利でした。

そして一番の宝物は旅のお供バックパック。
世界中のホストからメッセージをいただきました。全て彼らの言葉で書いてあるので何が書いてあるのか分からないけれど、思い出の詰まったバックパックです。

旅の持ち物とか各国ビザ情報など適当にまとめる予定でいます。
旅に出たい!って人はぜひご利用ください。
今までブログを読んでくださりありがとうございました。

ではまた次の旅まで^^

2013年3月3日

イスラエル〜ヨルダン〜カタール


 

ヨルダンに着いた翌日は、ホストとJerashというアンマンから1時間ほど離れた小さな街へ。


世界史が苦手だったわたしですが、「あ〜なんか聞いたことあるな」と思うような地名や人名がここでもたまに出てくる。
コリント式の建物とかゼウス神殿とか・・
ここはデカポリスの一つで古代ローマ遺跡がたくさん見られる。



ハドリアヌス凱旋門。

ペトラに行くことを断念したわけだが、
こは観光客がそんなに多い訳でもないし、静かにのんびり遺跡を見ながら散歩出来る。
周りの自然も豊かで空気も美味しい。
 



そのあとに向かったのは死海。地表で最も低い場所がここ死海。
そのため塩分濃度は高く、魚は存在しないという。だから死海。
寒くてとても泳ぐ気にはなれなかったけど、死海に沈む夕日は最高でした。

ただここぼったくりが多くて、ただ椅子に座っているだけでも、「そこに座るなら4JDS払え」と言われる。
しかもこの椅子の場所によって値段が変わるらしい。
「ここは夕日がよく見える場所だから10JDSだ」とか言ってきたりね。払うかよ。。


  
ちょうど自炊してご飯をつくっている人たちがいて、「ちょっと食べてけよ!」と言われたので少しいただくことに。
めちゃくちゃ辛かったけど、こういうの嬉しい。

ヨルダンで一番びっくりしたのが英語を話せる人が多いということ。
大学では英語で授業を行うのが主流なのだとか。年配の人でもかなり流暢に英語を話せる人が多い。
もともとイギリスの植民地だった影響もあるだろう。

ちなみにアラビア語でヨルダンはオルダン。英語ではジョルダン。
 

ヨルダンやエジプトでもよく飲んでいたサトウキビジュース。
コレステロール値を下げたりとか・・たくさん効能があるらしい。

ヨルダン・アンマンからは飛行機でカタール・ドーハへ向かう。
カタール行きだが私の便はUAESharjahで乗り換えのアラビア航空。
アンマンには新しいターミナルと古いターミナルがあるのだけど、アラビア航空は残念ながら古い方でした。

12時に離陸。エアアラビアは安い分、機内食はなし。水も有料。
Sharjahに到着したのは15:50
乗り換えのチェックインを済ませ、今度はカタールのドーハ行き飛行機に乗る。

UAE時間18時に出発した飛行機は、ドーハ国際空港にカタール時間18時到着。時差は一時間。

カタール空港の入国官は女性も男性も伝統服。
そしてみんな適当。ビザ代として100Riyal支払い、スタンプゲット!

着いてまずSIMカード購入。
50Rialで確か30Rialくらいクレジットが付いていたかな。