2013年2月14日

マイドゥグリ〜カノ〜カイロ 弾丸移動



朝6時を過ぎて、マイドゥグリのバス停へ向かう。
マイドゥグリでは夜21時から朝6時まで車両での外出は禁止。
そのためバス停に行く際も6時を過ぎるまで待つ必要があった。


KANO LINEというカノ行きのバスに乗り、朝7時出発。
運賃は2500ナイラ。
途中2つの検問で身体チェック。

私は女性なのでチェックはされないが、パスポートを見せ質問にいくつか答える。

当局「あんたのビザもう期限近いぞ」
私「もう今夜出るよ」
当局「いつナイジェリアに戻ってくるんだ?」
私「もうこのまま日本帰るからしばらくは来ないよ」
当局「なぜだ!ナイジェリアが嫌いなのか?」
私「いやいや!すごく好きだけど帰らなきゃいけないから!」(予想外の返事にアタアタ)

とりあえずマイドゥグリで何したか(マーケットに行ったと言っておいた)、何を食べたかなどどうでも良いような質問をされる。

当局「もう帰っちゃうなら連絡先教えてくれよ、いつか日本に行きたいから」
私「(またこれだ・・)ノーノー、アイ キャント!」
当局「なぜ駄目なんだ、教えろ」

とにかくしつこい。バスの中に戻ってもまだ来る。
いつもなら「教えねえよ、どっか行け!」と言えるのだが、相手は覆面して銃を持った治安当局。さすがにそれは言えん・・。

と言う訳で彼の連絡先を紙に書いてもらうことに。
とりあえず彼は満足げ。なんだか中学生の男子みたいだ。

とにかく、これがナイジェリアの治安当局や警察。
「何かあったら警察に通報を・・」なんてのは、ここじゃ通用しない。

カノに向かうのは意外とスムーズ。
あの厳しい荷物チェックはマイドゥグリ行きだけだったのか。

それでもなんだかんだ検問で時間が取られる。カノ到着は15時。所要時間は8時間。

カノ到着数時間後、今度はKANO INTERNATIONAL AIRPORTへ。
久しぶりの飛行機。エジプトのカイロへ向かいます。

空港はカイロへ向かう人でいっぱい。
まずは荷物チェックを済ませ、その後チケット発行へ。荷物はバックパックの中を簡単にチェックされる程度。

パスポートを渡してんのに “So, you are Chinese!” と言う。
パスポートをよく見ろ!

全て終わったのは1時間半後。空港といえどもここはナイジェリア。
列には並ばんし、とにかく騒ぐし。終わったときにはもうクタクタだった。


30分ほど待ち、飛行機へ。なんと満席。
Egypt AirなのでCAもみなエジプト人。

0:30、予定通りの時間に離陸。
この時間に離陸でもきちんとご飯出るんだね。
夕食なのか朝食なのか分からないけど、正直あの時間に出されても既に満腹で食べれんわ。
むしろ寝たいから水だけ配ってあとは放っておいてほしいくらい。

真ん中の席なのでなかなか寝付けず。気付いたらカイロ。飛行機って早いなー。
たった4時間半で着いちゃうんだもんなあ。
陸路で行ったらチャドとスーダンを経由していくから1週間くらいかかりそうだ。

このルートも魅力的だったんだけど、時間がなくて断念・・。

時差は一時間。6:15分カイロ空港着。
さすが、空港は綺麗。そして静か。
ビザ代(15USD)を空港内の銀行で払い、イミグレ通過。

空港内の携帯会社でSIMカード購入。18エジプトポンド。エジプトは意外と物価が安いね。

2013年2月12日

マイドゥグリで出会った人々




BRTV-Borno Radio Television

ボルノ州のラジオテレビ局。
ボルノ州首長のモハメド・ゴニがNTVA (Nigerian Television Association) に対抗して設立した会社。

ここに来てまず向かおうと思っていた場所だ。
ネットに記載されていたメールアドレスにメールするも、送れない。
電話しても繋がらない。彼ら本当にここにいるよな?と疑ったが、ちゃんと会社ありました。

アポ無しだったのにも関わらず、入っていきなり話しかけてくれたBulamaさん。
他の記者の方や編集者の方達も「ようこそ、来てくれてありがとう」と迎えてくれた。

この会社を訪れる海外記者やカメラマンは多いのだと言う。

3年前に政府と衝突が起こったモスクを見に行きたい、と言うと「僕らこれから政府取材いくから一緒に行こう、モスク周辺もまわってあげるよ」と言ってくれ、3人のジャーナリストと車で移動。

モスクの前の道は現在車両通行禁止。
3年間、この道は閉ざされたまま。この周辺に住んでいた住民も皆退去。
空っぽの道、空っぽの家・・。

元々いたマイドゥグリ市民の20%はここを離れて別の地域へ避難してしまったという。

マイドゥグリではオートバイに乗ることは禁止。
街のどこを見渡しても、オートバイに乗る人は一人もいない。
代わりに3輪オートバイや自転車に乗る人が目立つ。


翌日、再びBRTVへ。
前日「ボコハラムのメンバーに会わせて欲しい」と伝えていたのだが、
この日創始者モハメド・ユセフと親しい仲にあった女性とその旦那さんに会わせてもらえることに。

裁判所の中に住む彼女(アルショウさん)とその家族。
夫のアルコリグさんは裁判官。
とにかく、彼女から聞いた話は何もかもが衝撃的だった。

私が読んだ多くの記事では「ボコハラムはアルカイダの提携組織であり・・」と書かれていた。だが実は、彼らとアルカイダの間には何もない。
創始者モハメドが独自にナイジェリア内での活動のために作った組織だ。

そもそも彼ら自身、自分らを「ボコハラム」(訳:西洋の教育は罪)と呼んだことはない。
周囲の人間やメディアがそう呼びだしてから、「ボコハラム」という名が知れ渡ってしまっただけ。

ただ多くのメンバーは西洋の教育過程を経てもその後何も得られなかった、職がなかった。だから西洋の教育は無駄だと批判しているのだという。

BRTVのラジオ放送用記事を読んでいても、「ボコハラム」という呼び名を一度も使っていなかった。「だってこれ本当の名前じゃないから」と記者の方達は言う。

創始者モハメド・ユセフはかつて、近所の子供達のために教室を開き、ご飯を振る舞っていたという。
同じイスラム教徒たちを救わなくてどうする、私たちが出来ることをしなければ駄目だ、と。

ここマイドゥグリでは教育を受けていない子供達が多い。
アルショウさんの子供達も彼によく面倒を見てもらっていたという。

じゃあ何故今まで政府機関や教会を爆破したり、人を誘拐したり殺したりしていたのか。
そう聞くと「実はこれら、武装した強盗たちがボコハラムを装ってやっていることなの」と。銀行や病院を銃撃する、そして「アッラーフアクバル!(アッラーは偉大なり)」と叫ぶ。
そうすれば誰もが「またボコハラムの仕業だ」と思う。
政府や警察、メディアにとってもその方が都合がいいから、だそうだ。

どっちが本当かは分からないが、不良集団がボコハラムのふりをする、というのは普通にありそうだなあ。他の組織も然り。

創始者モハメド・ユセフが生きていた頃は、まだグループ内も落ち着いていた、とアルショウさん。
彼が殺されてから、グループは秩序を失い、内部でも揉めるようになり、
やがて別の組織を作る者や、ボコハラムの名を借りて犯罪を繰り返す者が増えてしまった。

ここの政府軍や軍警察はマイドゥグリにいるというだけでかなり稼げる。
リスクを負って市を守っているから。
だから本当はこんなに必要なくてもここにいなければならない理由をつくるのだとか。

政府軍兵士が女性をレイプしたことも、裁判所に向かう女性を乗せた私たちのドライバーを鞭打ちにしたことさえある。
マイドゥグリにはキリスト教徒も多くいるが、女性は皆肌を隠している。
彼らに狙われるのが怖いかららしい。


ここに来る前「ボコハラムに誘拐されたらどうしよう」とか私も実は不安だった。だが今私が恐れる相手は彼らだけではない。軍の兵士や警察、それからボコハラムを装った者たちに警戒せねば。

現地の人でも、「ボコハラムが・・」と言う人もいれば「武装強盗が・・」って言う人どちらもいる。
知らない人だってもちろん多い。

テレビのニュースでは当然「ボコハラムが」と報道されるから、ここにいてもなかなか本当のことを知ることができない。


マイドゥグリでは毎日戦車が街の中を通り、パトロールする。メイン通りにも検問はいくつもある。人々はそんな暮らしにももう慣れてしまった。


UNIVERSITY OF MAIDUGURI
ここで英語を勉強しているMaryamに会った。彼女の家族はここを離れて今アブジャで暮らしている。彼女は大学内の女子寮に住んでいる。

BRTVに心からのお礼を。
彼らなしではここまで私も動けなかっただろう。

2013年2月10日

マイドゥグリへ!



6時、カノのモーターパークへ。
早朝も警官は休むことなく市内をパトロール。
途中検問で「どこに行くんだ?」と聞かれて「モーターパーク」と運転手が答えると「そこからどこへ?」と。

運転手が機転を利かせて「カドゥナ」と言ってくれた。
GOOD JOB!!
マイドゥグリに行くなんて言ったら面倒くさそうだ。


マイドゥグリまでは3000ナイラ。
7時半にようやく出発。

カノ−マイドゥグリ間は約500キロ。
普通なら5時間で着く距離が、途中の検問の影響で8時間はかかるだろうと聞いていた。

カノ市を出る前から3カ所くらい検問を通った。
マイドゥグリに行くと言うだけで荷台の荷物もチェックされる。


この2日前に起こったクリニックでの銃撃を受け、警察は検問の数を増やしたという。
バスの運転手によると「検問が増えればドライバーはイライラするだろ?だから賄賂を払って通してもらう。検問を増やしたのも賄賂が欲しいからだ」と。


運転手もさすがに毎回荷物をチェックされるのにうんざりしていて、気前よく賄賂を払う。
賄賂をあげれば何もチェックせずそのまま通してくれる。
こりゃあちこちで事件が減らないわけだ。


途中で寝てしまったが、3時間のうちに30以上の検問を通った。
たまに私の顔を見ると「おー元気か?どこへ行くんだ?」と聞かれる。
基本彼らは優しい。

マイドゥグリが近づいてくると、車を降りて歩いて検問区間を通らなければならなくなる。
まるで国境越えしているみたいだ。
パスポートを見せろと言われるが、なぜか顔写真のページもナイジェリアビザのページも見ずに返される。


運転はとにかくひどかった。
あの運転で無事故で来られたのは未だに奇跡だと思う・・。

8時間半後、16時ようやくマイドゥグリに到着。

なぜここまで来てしまったのか、自分でも謎だ。
「マイドゥグリに行く」と言うと大体反対されたし、そもそも行けるとも思っていなかった。

3年前、イスラム系組織ボコハラムの創始者モハメド・ユセフのモスクが、政府軍から襲撃される。モハメドは逮捕され、収監中脱走を試み射殺された。
マイドゥグリの治安は一気に悪化。ナイジェリア人でも行きたがらない地域だ。

きっと現地の人から色々な情報を聞けるだろう、そして今どのように街が変化したのか見てみたい。
そう思い荷物をカノの友達の家に預け、小さなデイバックのみで2日間のみここに滞在することに。
ネットで探したホテル数ヶ所に電話してもなぜかどこも繋がらなかったが、友達の紹介で現地の方が泊めてくれることに。

ホストのMohammedは兄弟と友人とマイドゥグリの中心部に住んでいる。
彼の奥さんや子供は昨年の治安悪化でカドゥナに引っ越してしまった。
モハメドは仕事があるのでここに留まっているという。

もう一人の友達、Maryamは大学生。彼女の家族はアブジャへ引っ越してしまい、現在彼女は大学にあるSchool Hostel(学生寮)に住んでいる。

「どこに彼ら(ボコハラム)がいるか分からない。見た目では決して判断できないし、もしかしたら隣の人がそうかも知れない。だから皆怖くて逃げていってしまった。今この瞬間にもマイドゥグリを出ていく人がたくさんいる」

いつ何が起きるか分からない。そんな中でも楽しいことを見つけながらモハメドたちは暮らしている。なんだかアフガニスタンにいたときを思い出した。

「最初安いホテルを紹介しようかと思ったけれど、お勧めできるホテルがもう残っていなくて、安全性も保証できない。僕の家なら大丈夫だ」とモハメド。
私がネットで見つけたホテルは全て営業停止。
オーナーが退去してしまったらしい。

やはり、そういうことだったのか。

一日のほとんどは停電、水も出ないから溜めてあるバケツの水でやりくりする。
21時から朝6時までは外に出られない。
確かに不自由はあるけれど、ここに住む人たちは本当に親切で、いきなり訪れた私を守ってくれる。

マイドゥグリ初日の夜は皆でサッカー観戦。
アフリカカップの決勝戦、ナイジェリア対ブルキナファソ。
10でナイジェリア優勝しました。ナイジェリア人でもないのに必死で応援してしまったよね。おめでとう!!

2013年2月9日

ナイジェリア・カノ




アブジャの次に向かうはカノ。

アブジャ市内のタクシー乗り場へ。カノまでは2550ナイラ。
ちいさなタクシーに4人客を乗せる。荷物代はとられない。

14時アブジャ出発。
お昼ご飯を食べるのを忘れていたので、信号待ちのときに売り子からバナナチップとリンゴを買う。
バナナチップ(プランテーンチップス)は日本で買う物よりめちゃくちゃ美味しい!

19時、カノのモーターパークに到着。
カノ在住唯一のカウチサーファー(ホスト)、ジュミー。
台湾出身の彼女はここで一人暮らししながら商社で働いている。

今まで日本人を6人家に招いたことがあるのだとか。

「カノは危険」といった印象がナイジェリア内でも強いが、
ジュミーに言わせればラゴスよりよっぽど安心して暮らせるという。

確かにたまに政府関係者が銃撃されたり、政府機関が爆撃されたりすることもあるが、
ここではラゴスで日常的に発生する強盗事件が滅多にないらしい。
どっちを危険と思うかは人それぞれだね。

外国人も意外に多い。中国人、レバノン人、イタリア人、ノルウェー人、イギリス人、スロベニア人・・ほんの数日いただけでもかなりの外国人に会った。
ここで生まれ育った人もいる。
レバノン人でもアラビア語が上手に話せない人が沢山。

先月19日、カノ州首長が車で移動中、オートバイの後部に乗った何者かから銃撃された。
同乗していた3人が彼をかばい、首長本人は助かったものの、彼を守った3人は殺されたようだ。

その後「オートバイを2人以上で乗ってはならない」という新しい法律がカノ州に公布される。

オートバイは市民にとって非常に重要度の高い移動手段。2人、3人、ときには4人オートバイに乗り、移動する。

8日朝、私がホスト宅でのんびりしている頃、今度は郊外のクリニックでポリオワクチンを接種しようとしていた女性9人が銃撃され殺された。


今回の犯人はKEKEと呼ばれる3輪オートバイから狙ったという。
今カノ市では「今度はKEKEまで禁止にするんじゃないか」と噂されている。

これを市民から奪ったら彼らの交通手段はバスとタクシーのみになり、多くの運転手が仕事を失うだろう・・。


まだ犯人がどの組織の人間かはっきりしていないが、
今犯行が疑われているJama’atu Ahlus-Sunna Lidda’Awati Wal Jihad
通称「ボコハラム」。

自分らを「ナイジェリアのタリバン」と呼び、ヨベ州カナマを拠点にナイジェリア北部で活動している。
ちなみにヨベ州のことはイラクと呼んでいるらしい。

彼らのネーミングセンスは結構好きだ(笑)。


ナイジェリアなうだけど、ホストが台湾人なので一緒にChinese New Yearを祝うことに!

ではでは、ドキドキのマイドゥグリに向かいます。