2012年4月24日

出国より1ヶ月

ビシュケクにはプーチン派の人が多い。
彼はロシアのためにやれることを全てやった、キルギスの大統領になって欲しいと。少なくとも、「キルギスの大統領よりはマシ」らしい。

ホワイトハウス前で抗議する人の数は、日に日に増えている。
そろそろ落ち着くかと思いきや、最近更に激化している気がする。
同時に警察の数も増えているため、私としては非常に居にくい。ほぼ毎日ここに顔出しているのでそろそろ顔を覚えられていそうだが。少なくとも毎回ここで会う市民の何人かは私を覚えてくれていて挨拶してくれる。

このように、毎日数人の警察を1030人の市民が取り囲んで抗議している。フェンスに貼られた抗議文は剥がされてはまた別のが貼られ、剥がそうとする警察のところに市民が押し寄せて口々に文句を言う。


英語で書かれたものも。イラクやイスラエルのことに関して抗議してあるものも。 


ここで一番人気のある職業は、銀行員、次に携帯会社、そしてカフェなどを営む自営業。

日 本ではエリートな印象のある医者は、ここでは不人気。基本的に高熱が出ようがインフルエンザにかかろうが、病院には行かないらしい。
医者は、病院に払う診 察料の他に医者本人に払うチップを患者に請求する。給料が安くてやっていけないから。請求額は医者によって異なるのだと。
ここで何も病気にかからないことを願うばかりです。

大学生や自分の生徒に何の職業に就きたいか聞くと、だいたいが「銀行員」と答える。
大学で何を専攻しているか聞くと、経済学や会計学などが多い。ちなみにカザフスタンでは石油会社が人気だと聞いたなあ。
あと多いのが、”Business Person”。もっと具体的にこういう仕事がしたい、とかないの?と聞くと、「仕事がない」と答えられる。
政府が雇用環境を整えてくれないのだと。最終的には「政府が悪い」となる。


一晩限りの野外音楽フェスの様子。
チャイニーズビートルズがいた(笑)。がしかし、ビシュケクの若者の多くはビートルズさえ知らない。

インターン先のスタッフはヨーロッパ出身の人が多いのだけど、彼らと話していると仕事内容の愚痴がとにかく多い。一週間休みとりたいのに許してくれない、週に1回しか休みがない、まるでWorkaholicになった気分だ、と。

日本人の私からしたら何がWorkaholicだと言いたいし、この仕事で毎週給料がもらえるのだから十分すぎるくらい。
週に一回しか休みがないと言っても、毎日朝から晩まで仕事がある訳ではなく、ある日は午後からだったり、またある日は午前中だけだったり。
とくに苦に思わないのだけど、彼らにとっては最悪らしい。

この間肉じゃがを作ったらとても喜んでもらえました^^
ローリングストーンズのミック・ジャガーとかけて、ニックジャガーだぞーってボケたのに、誰もミックジャガーを知らなくて完全にすべる。

ちなみに料理酒はウォッカ。これしかない。
飲みに行ってもみんな平気でウォッカ一瓶開けたりしてるからびびる。スーパーでは棚5段くらいが全部ウォッカ。

週末に山へ。カザフで会ったアメリカ人パッカーがビシュケクに遊びにきたので一緒に。馬に乗って丘を登り、雪のかぶった山々を眺めながら昼ご飯。

市街からバスで10〜20分の場所だが、人々の暮らしの様子は全く違う。
馬、牛、羊、鶏があちこち歩き回ってるし、家族みんな外に出て家畜の世話をしたり、木陰に集まってお酒を飲んでいたり。

同じ市内でもまったく別の時間が流れているなと感じた。

 


地の人と動くのもいいけど、たまにはこうやって現地の言葉が分からない者同士で動くのもいいなと思う。
どうしてもロシア語・キルギス語が話せる人と居ると頼ってしまう。
実は山に行くまで、馬に乗れるまで、結構苦労した。
歩き回って色んな人に聞いて、馬に乗ってる仕草をして見せて、 ようやく通じたといった感じだ。でもこの方が断然楽しい。

気付いたら、日本を出てから1ヶ月。ウルムチやアルマティにいたのが遠い昔のようだ。
一番恋しいものは生卵かな。卵かけご飯が食べたいね。

2012年4月13日

Bishkek10日目


平和な日々が続いております^^
どういう訳か、日本からここまで旅しているときは、早くビシュケク着いて落ち着きたいなあとか思っていたのに、いざ落ち着いてしまうと旅にでたくていてもたってもいられなくなってしまう。

毎日次の旅の過程を地図と睨めっこしながら考えたり。

非常に困ったことに、ブログの投稿は出来るのに(たぶん出来ているはず)、ページを確認することが出来ない。

編集は出来るが、ブログのページを開いて確認することはできません。
日本では普通に見えているのかな?

キルギスは特にネット規制などないはずだし、他の周辺国に比べればネットは自由な方だと思っていたのだけど、なぜかここ数日開けなくなってしまった。

というより規制されるほど大したことは書いてないと思うんだが・・
もう少し様子を見よう。


そういえば一昨日、無事に22歳の誕生日を迎えることができました。
メッセージくれたみなさん、ありがとうございます**

仕事先では生徒や他のスタッフたちにも祝ってもらい、夜はみんなとパブへ。たくさんの人に祝ってもらえて幸せです♪

ちなみにここでもビールにストロー差して渡されました。どうやらここでは女性客にはストローを渡すのが普通らしい。すぐ酔っぱらっちゃうじゃんねえ。



これは2年前の革命後つくられたモニュメント。古い政治体制をなくして新しい社会を市民がつくりあげようとする姿がよく表されています。亡くなった人へ花が捧げられている。



ホワイトハウス前には、毎日のように市民が抗議のための紙を貼りにきて、政府関係者?や警察と何か言い合っている。
残念ながら何が書かれているかも、何を話しているかもわからないのだが、出来る限り毎日ここに来て様子見てます。


写真を撮っていると、ポーズ決めてくれたおじさん。書かれているのはキルギス語。

ここでは大統領に就任した人の家族も皆政府内で働く権利が得られるそう。この男性はそのことに対して抗議しているらしい。

記事にしてほしかったのかわからないけど、私に色々話してくれた(が、もちろん何言っているかわからない)。駄目元で、「誰か英語話せる人はいるか」と聞いたが、やっぱりいなかった。ああ悔しい。

しばらくそこにいると、警察が怪しげな目で見てきたので退散。ここで私が一番怖いのはどの一般市民よりも警察。外国人というだけでお金を徴収してくることがあるらしい。今のとこはまだないが、なるべく目を合わせたくない。
でも、明日も時間があればここへ来ようと思います。



ここは仕事場のすぐ向かいにあるPhilarmoniaというコンサートホール前広場。
よくここで授業の合間の時間やお昼などに来て、人間観察♪
子供たちが走り回ったり、キックボードしたりスケボしたりマウンテンバイク乗り回したりしているのを眺めているのが好き。




もう一つよく来る公園がここ。
近くのカフェからWi-Fiが漏れているのでネットが使える。

そういえば昨日引っ越しました。
今までのホストファミリー宅は職場から結構離れていて、毎日20時まで仕事なのでその後ミニバスで帰宅するのは良くないとマネージャーさんに言われ・・とてもいい家庭だったのだけど近くの別のホストファミリー宅へお引っ越し。

中には34ヶ月の間に3回ほど引っ越す人もいる。
今回のホストファミリーは、27歳の女の子と10歳の息子。職場まで10分、山まで5分という好立地♪

公園で座っていたら、「うちの息子3人がまだ結婚してなくて困ってるんだ。あんたどうかい?」と言ってくるおばさんがいた。3人いるから好きなのを選べるよ、と(笑)。

3ヶ月しかいないからと断ったけど、最後に「日本人の笑顔はいいね」と言って帰って行った。
それにしても母さん必死だな。

2012年4月10日

初仕事!

昨日から本格的に仕事スタート。

正直、私は先生の中で一番英語力は低いし、この私が英語を教えることに関して不安で仕方なかったけれど、そんな心配全くいらなかった。

生徒たちが発言してくれるので非常にやりやすく、しかも私の方も何故か分からないけどぽんぽん英語が出てくる。
英語で英語を教えるのって、外国語として英語を学んでいた私にはきつそうに見えたが、意外と何とかなるものです。

それに自分も勉強になるね。

最初の授業では用意しておいた日本についてのプレゼンと、私自身を紹介するプレゼンを見せるのだけれど、私はそれとは別に、時間があれば見せようと、去年の地震や原発事故についてのプレゼンも用意しておいた。

最後5分ほど時間余ったクラスでは見せることが出来たのだけど、不思議なことに、日本や私自身に関してのプレゼンの時よりみんなの目は画面に釘づけになる。教室も一気に静かになる。
そしてどのクラスでも最後に必ず、「見せてくれてありがとう」と言ってくれる。不思議。

日本人として、この3ヶ月何かしら彼らの心に残せたらと思って作ったプレゼンなので、出来れば全部のクラスで見せたいなあ。

MIYUと名乗ると、ロシア語でMиp(world)という単語に似ているらしく、MIYU PEACE! (WORLD PEACE!) と呼ばれる笑

ちなみにMиpはカタカナで表そうとすれば「ミィル」だけど、ルは私には発音不可能です。舌がまわらん。うーん、言葉で表すのは難しすぎる。

土曜日はウェルカムパーティーを開いてくれて、久しぶりに飲みに^^
STELLA ARTOISの瓶ビールを頼んだらなんと瓶にストロー入れて渡されました。
ストローでビールを飲めと?

昨日ミニバスで空いた席に座ると、今俺の手を踏んだだろと隣のおっさんに怒鳴りつけられた。
結構な酔っぱらい。
踏んだとこであんたの手はどうにもならねえよと思ったが、とにかく面倒くさい。
外人かと聞かれたので日本人だと言うと、番号を教えろと言ってくる。
携帯ないからと嘘をついといた。

その後何度も電話をどっかにかけるフリしていたけど、幸い私の降りるバス停に着いたのでさっと降りました。

ここに来て、ミニバスの中で酔っ払いに出くわすのは3度目。一人目の酔っ払いは運転手にずっとキスしてたw あれには乗客も苦笑い。

二人目はお金を払わなかったので運転手に追い出された。

あとたまに、「日本人はどうやって結婚するの?」という質問をされる。
質問の意味がよく分からなかったのだけど、キルギスで古くから行われる”Kidnapping”を聞いて納得。誘拐婚です。衝撃でした。

男の子が、気になっている女の子、または恋人を、友達などに協力してもらい、「誘拐」する。つまり、後ろから捕まえて、車に無理矢理押し込む。
そして男の子の家に連れて行き、両親に彼女と結婚したいと報告するそう(!!!)

家族が了解すると、その親は女の子の頭にベールを被せる。
今では女の子は断ることが出来るようになったそうだが、昔は法律で「女は断れない」と決められていたそうだ。なんてこった。

しかし今でも、女の子が断ると男の子の親は「うちにはお金もあるし、今までより素晴らしい暮らしが出来る。うちの子は本当にいい子でいつまでもあなたを幸せにする。ほかにこんな素敵な家族はない」とぐいぐい来るらしい

女の子が了承すると、男の子の親が女の子の親に電話で報告する。
その後両者の親が会って話をし、結婚成立となるそうな。
早く結婚したい女の子は、彼氏や好きな男の子に”Kidnap me” と逆にお願いするそうだ。

ちなみに女の子は25歳までには結婚し、25を超えるともう遅すぎると諦めるのだとか。
だから私と同い年のホストはかなり焦っている。



これは日曜日のマーケットの様子。タクシーの上の部分?これ誰が買うんだ?
とにかくここでは何でもお金になる。私にはただのガラクタに見えても、彼らにはめちゃくちゃ便利な道具なのかも知れない。

2012年4月6日

BIshkek郊外を歩く


昨日はインターン先仲間とビシュケク郊外へ
チェコスロバキアアメリカ色んな国の人が共に働いている。

天気がよく、最高気温は27度。
田舎の裏路を4人でのんびり散歩。桜に似た木がたくさん見られる。
人はみな温かい。アルマティに比べ、オープンな人が多いなと感じる。私はやっぱりキルギス人に見られ、普通にロシア語で話しかけられる。

午後はインターン先でいくつか授業を見学。
ここの中学・高校は午前中か午後のどちらかに授業を受け、それ以外の時間は自由なんだとか。
だから普通ならみんな学校に行っているような時間帯にも、インターン先の英語学校には10代の子供たちがたくさん。

12歳から30歳までの人が、同じクラスで一緒に仲良く勉強している。不思議な光景だ。
日本じゃプライドとか気にして、一緒に勉強したがらない人が多いんじゃないかな。

文法も単語もでたらめなのに、みんな思い思いに発言する。面白い。
だから先生も楽しんで教えられるし、生徒たちのレベルがよくわかる。
日本で英語を教える海外出身のALTたちは、きっと相当やりにくいんだろうなあ。

生徒たちがまず私に質問するのは、「何歳?」そして「彼氏はいる?」
大体2427歳に見られる。ずーん。21だというと、「何でそんな年上に見えるの?」と聞かれた。そんな悲しいこと聞かないでくれ。

ちなみに彼氏はいないと「ああ、夫か!」って。いや、何でそうなる!
日本出身だというと、なぜか皆「リンキンパーク!」という・・。うーん、日本じゃないよ?

ここではミニバスと普通のバスが通る。
ミニバスには人がぎゅうぎゅうに詰められ、運転手の横だろうがなんだろうが、立てるとこに立つ。

Astanavite(アスタナヴィーチェ)!」 
これはロシア語で「Stop!」 止まってほしいとこでこう叫ばないと、どんどん進む。
運賃はどこまで行っても50円ほど。

カザフスタンやキルギスには韓国人が多い。
戦争のとき、多くの韓国兵がロシアにやってきて、共に闘ったからだという。だから韓国料理屋も多い。ちなみにカラオケ(KAPAOKE)もよく見る。

そろそろ慣れてきたということで、ロシア語を本格的に勉強しようかなと思います。
さすがに話せないのは結構厳しい。
キルギス語もあるのだけど、若者はだいたいロシア語だし、学校でもロシア語で習うそう。年配の方達はキルギス語を使う。

自然豊かで、アルマティから見えた山の反対側が見える。
ビシュケクは首都だが、ビルが建ち並ぶこともなく、交通機関も発展していない。
電車は通っていない。大統領が何もしないのだと、住民は皆言う。

酪農が盛んで、乳製品が多い。チーズ嫌いの私にとっては少々きつい。

あ、あとアップルショップ(正規ではない)の店員がacerのパソコンを使っていたのがちょっと笑えた^^

2012年4月3日

国境越え、キルギスへ



 

朝7時過ぎ頃バス停へ。
キルギスタン・ビシュケクへ行くバスに乗り込む。
バスは15人ほど乗るワゴン車のようなもので、人が集まり次第出発。

国境へ向かう途中、窓からは雪の積もった山々がずーと切れ目なくそびえ立つ。

雄大で、でも周りは素朴で。
これが日本だったら、道沿いにお土産屋さんが建てられたり、旅館やホテルが立ち並んでいたかも知れない。
でもここには、農家の家がぽつんぽつんとある以外、何もない。広大な大地が続く。
まさに自然そのもの。


山の手前は不毛地帯であったり、牧場であったり。馬や羊の群れがたまに見られる。
こんな綺麗な景色が広がっているのに、なぜか乗客は皆カーテンを閉め切っている。なんて贅沢な!

そしてカザフスタン出国。
バスの運転手さんが一緒に来てくれた。やはり長引くも、なんとか問題なく出国!
そしてまたバスへ。出国してから入国するまで、どこの国にも存在していないって時間が、何だかわくわくする。DJ ShadowBorder Crossingを聞きながら、入国局へ。

入国も少々長引くが、特に荷物チェックもされず、無事キルギスタン入国!!

カザフスタンへ入るときに比べ大分楽だった。人々も落ち着いている。
SUZUKIという名前に入国局の人はみんなニヤッとする。「オースズキ!」って。

キルギス入国局にて。
バスの運ちゃん。しぶくてかっこいいぜ!
ロシア語をいくつか教えてもらった。

彼は12カ国語しゃべれるらしい(私の解釈が正しければ、あと彼が話を盛ってなければw

入国後、20分ほどでBishkekのバス停に到着。
インターン先のマネージャー、OlyaとホストのKasietと無事会え、ホストファミリー宅へ!
アパートに住んでいて、私にはかなりでかい部屋を用意してくれていた♪
遅めのランチを食べ、近所を散策。この日は20度ほど。

アルマティの近くなのに、こんなに気候が違うとは!

昔からの言い伝えで、キルギス人と日本人は元々一緒だったと。
魚好きが日本人に、そして肉好きがキルギス人になったと言われているそう。

確かに街を歩いていても、日本人と似ている人が多い。化粧も似ている。
ホスト先のお母さんにも、私のような人は街を歩いてればいっぱいいると言われた。

Kasietはお母さんと二人暮らし。
日本からのお土産に二人の名前が入ったお箸をそれぞれプレゼント。喜んでくれてよかった^^
とりあえず、ここまで来たら3ヶ月はここに留まるので、落ち着きます。
正直、ここでインターンするのにここまで辿り着けなかったらどうしようと不安で仕方なかったが、特に何事もなく無事に着けて本当に安心しています。

あちこちで色んな人に助けられたなあ。
彼らなしじゃ、チケットを買うことも、国境越えるのも無理だったかも知れない。

出会いって本当にすばらしいです。旅のいいとこって、結局なんだかんだ言って、一番は出会いなんじゃないかなとも思います。

2012年4月2日

Almaty



シルクロードのオアシス都市、アルマティ。
アルマティとはカザフスタンの言葉で「The Father of Apple」という意味で、今でもその呼称「アルマ・アタ」を使う人が多い。

Galinaとアルマティ市内で毎週日曜に行われるGreen Marketへ。
アルマティは市内から山脈がよく見え、とても美しい街です。
空気もウルムチよりずっと綺麗で、人々も落ち着いている。歩くスピードもゆっくり。

冬は-20度とからしいが、今は日本の3月末とそう変わらないかな。

ロシア語とカザフ語が飛び交う。英語はあまり通じない。
この日は公園で散歩したり、教会を訪れたり。
東方正教徒が多く、ベールで頭を、長いスカートで足を隠す女性が多い。

釘一つ使わず建てられた正教会。1911年の大地震にも唯一この教会だけが耐えた。

あと、なぜかレズビアンをよく見る。
そういえばアルマティまでのバス車内でも、自分のベッドの周りにレズカップルが2組もいた。

ここではどの車もタクシーとして利用可能。
200テンゲほど払えば、町中どこでもヒッチハイク出来る。これは結構便利だ。

人々はツンツンしているけど、話しかかれば実は優しいんだってことがわかる。
でも少し閉鎖的な気はする。そしてキルギスをどことなく嫌っている人が多い。
イギリスとフランスのようなものか?

ウルムチでは信号など気にせず道路を渡っていたのでその癖がついてしまい、ここでもついつい同じことを繰り返してしまう。何度クラクションを鳴らされたことか。
とてもいい街なんだが、ウルムチが私にはあまりに刺激的すぎて、ここが少し物足りなく感じてしまう。
自分から何か起こさない限り、滅多に何も起こらない気がする。
そんな平和な街です。

もちろん、旧ソ連ということだけあって、ロシア色が強い。
街のいたるところにロシア兵や第二次世界大戦で使われた兵器のモニュメントが見られる。


AK47とはロシアのライフルの名前。

 


翌日はアメリカ出身の20歳大学生パッカーDylanと山へ。
彼はここで5月末まで働き、その後中国を横断してからアメリカへ帰るそう。
久々にネイティブ英語を聞いた。

山へ行く途中のバスでスキー板を持っている人を見かけて体の中のアドレナリンが!!うう、滑りたい!!

山にはまだ雪がたくさん残っていて、空気も澄んでいて気持ちがいい。空の青さも東京のより鮮やかな気がする。


意外と雪は深かった・・笑
1週間前、男性が一人雪崩に巻き込まれて亡くなったそう。夏になったら登りたいな。

その後は一人市内をぶらぶら。
少し裏路へ入ったら、すれ違ったおっさんにツバかけられた。
まあ、そりゃいい人ばかりな訳ないです。色んな人がいるよねえ。。

途中道に迷うも何とかバスで市の中心部に戻れてホストのGalinaと無事再会^^


らくだのミルク。ちょっと苦手かな。
左はカザフスタンのチョコ。