2012年9月11日

AZADIYA WELAT-FREEDOM FOR COUNTRY


ここでのホストはBaranとその家族。
Baranの伯父さんがクルド人の新聞社の知り合いがたくさんいるとのことで、翌日まずは彼のオフィスへ。

彼はAzadiya Welatというクルド語の新聞社の専属弁護士。
Diyarbakirにきたら絶対行こうと思っていた新聞社だ。クルド語の新聞なんて、他の地域では手に入らないから。

彼らの記事に関して、トルコの警察は毎日のように電話してくるという。
Azadiya Welatの記者が書いた記事に関しての裁判が開かれる度に、Baranの伯父さんは記者を弁護するため裁判に出席するのだそう。

以前Azadiya Welatの元編集主任懲役166年という刑を受けた。
結局彼は1年で釈放されたが(これもトルコ政府の策略の一つだという。『1年で出してやったんだ、崇めろ』といった感じ)、その後も訴えられる記者は後を絶たない。

彼にAzadiya Welat本社に電話すると、Vedatが夕方会ってくれると言ってくれた。


彼のオフィスを離れ、街の中心を歩いていると大きな人だかりと怒声が。
数日前に大統領が教育制度を変えたことに対して、今トルコ中で反対デモが起こっている。ここでも大勢の人が反対運動を行っていた。


警察、それから私には判断できないがホストのBaranによると私服警察もここに30人以上いたらしい。
写真を撮るのは少し治まるまで待てと言われたので、規模が小さくなるまで待つことに。

そもそも外国人観光客が滅多に来ない場所なので、物珍しげに私をじろじろ見てくる人ばかりだ。

次に向かったのは通信社のDIHA。もちろんAzadiya Welatも扱っている。
ここで聞いた話もまた刺激的だった。
昨年12月、イラクとの国境付近でトルコ兵による爆破テロがあった。その10日前、トルコ警察がトルコの各報道会社へ行き、記者や編集者を連行したという。

当然彼らは何が起こるのか知らなかった。爆撃後、トルコ人記者は15時間その場から離れることができず取材に行けなかったが、クルド人だけが行くことが出来たという。
トルコ語の新聞記者に詳細を知られては困るからだ。

他の街で会ったトルコ人の友達はみな「トルコは自由の国だ」と言っていた。
私も同じイスラム教国のイランやアフガニスタンと比べれば、トルコは自由な国だと思っていた。でもこれを聞いた今、とても「自由な国」とは言えない。

少なくとも報道には自由のかけらもない。

礼を言い、今度はAzadiya Welat本社へ向かう。
本社、と言ってもお世辞にも立派とは言えない小さなオフィスだった。

民家の陰にひっそりと建っている。


Azadiya WelatとはFreedom of the Countryという意味。
1994年に創設されたが、当時はトルコで刊行することは禁じられていたため、クルド人が多く移住していたエジプトのカイロで第1号が創刊された。
現在、毎日約6500部がトルコ国内で買われているという。

聞いていた通り、毎日のように警察から記事に関する抗議の電話がくるといっていた。社員の70%は今裁判中か服役中で、残りの30%の社員で毎日記事を書いている。時々、社員をオフィスに来させないように警察がここまでの道を塞ぐこともあるのだとか。


これが今までに殺された記者たち。ここの記者たちは、いつ警察に逮捕されても、殺されてもおかしくないような状況で働いている。
これだけの人が殺されても、会社を辞めた記者はまだ一人もいない。

新聞を発行することで、情報を伝えるだけでなく、学校へ行けないクルド人のために文字を学ぶ機会を与えることもできると彼は言っていた。

もう一つ少し興味深い話を聞かせてくれた。

数年前、ある北朝鮮人の男がこの会社を訪れ、色々と質問してきたという。彼は英語もクルド語もペラペラで、片手にクルド語と英語の辞書を抱えていたと。私のホストも道ばたで彼に会って、会社や機関がどこにあるかなど聞かれたと言っていた。

北朝鮮工作員?ここで何をしようとしているのか、謎だ。まあちょっと気になったことなので書いてみました。

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