2013年2月12日

マイドゥグリで出会った人々




BRTV-Borno Radio Television

ボルノ州のラジオテレビ局。
ボルノ州首長のモハメド・ゴニがNTVA (Nigerian Television Association) に対抗して設立した会社。

ここに来てまず向かおうと思っていた場所だ。
ネットに記載されていたメールアドレスにメールするも、送れない。
電話しても繋がらない。彼ら本当にここにいるよな?と疑ったが、ちゃんと会社ありました。

アポ無しだったのにも関わらず、入っていきなり話しかけてくれたBulamaさん。
他の記者の方や編集者の方達も「ようこそ、来てくれてありがとう」と迎えてくれた。

この会社を訪れる海外記者やカメラマンは多いのだと言う。

3年前に政府と衝突が起こったモスクを見に行きたい、と言うと「僕らこれから政府取材いくから一緒に行こう、モスク周辺もまわってあげるよ」と言ってくれ、3人のジャーナリストと車で移動。

モスクの前の道は現在車両通行禁止。
3年間、この道は閉ざされたまま。この周辺に住んでいた住民も皆退去。
空っぽの道、空っぽの家・・。

元々いたマイドゥグリ市民の20%はここを離れて別の地域へ避難してしまったという。

マイドゥグリではオートバイに乗ることは禁止。
街のどこを見渡しても、オートバイに乗る人は一人もいない。
代わりに3輪オートバイや自転車に乗る人が目立つ。


翌日、再びBRTVへ。
前日「ボコハラムのメンバーに会わせて欲しい」と伝えていたのだが、
この日創始者モハメド・ユセフと親しい仲にあった女性とその旦那さんに会わせてもらえることに。

裁判所の中に住む彼女(アルショウさん)とその家族。
夫のアルコリグさんは裁判官。
とにかく、彼女から聞いた話は何もかもが衝撃的だった。

私が読んだ多くの記事では「ボコハラムはアルカイダの提携組織であり・・」と書かれていた。だが実は、彼らとアルカイダの間には何もない。
創始者モハメドが独自にナイジェリア内での活動のために作った組織だ。

そもそも彼ら自身、自分らを「ボコハラム」(訳:西洋の教育は罪)と呼んだことはない。
周囲の人間やメディアがそう呼びだしてから、「ボコハラム」という名が知れ渡ってしまっただけ。

ただ多くのメンバーは西洋の教育過程を経てもその後何も得られなかった、職がなかった。だから西洋の教育は無駄だと批判しているのだという。

BRTVのラジオ放送用記事を読んでいても、「ボコハラム」という呼び名を一度も使っていなかった。「だってこれ本当の名前じゃないから」と記者の方達は言う。

創始者モハメド・ユセフはかつて、近所の子供達のために教室を開き、ご飯を振る舞っていたという。
同じイスラム教徒たちを救わなくてどうする、私たちが出来ることをしなければ駄目だ、と。

ここマイドゥグリでは教育を受けていない子供達が多い。
アルショウさんの子供達も彼によく面倒を見てもらっていたという。

じゃあ何故今まで政府機関や教会を爆破したり、人を誘拐したり殺したりしていたのか。
そう聞くと「実はこれら、武装した強盗たちがボコハラムを装ってやっていることなの」と。銀行や病院を銃撃する、そして「アッラーフアクバル!(アッラーは偉大なり)」と叫ぶ。
そうすれば誰もが「またボコハラムの仕業だ」と思う。
政府や警察、メディアにとってもその方が都合がいいから、だそうだ。

どっちが本当かは分からないが、不良集団がボコハラムのふりをする、というのは普通にありそうだなあ。他の組織も然り。

創始者モハメド・ユセフが生きていた頃は、まだグループ内も落ち着いていた、とアルショウさん。
彼が殺されてから、グループは秩序を失い、内部でも揉めるようになり、
やがて別の組織を作る者や、ボコハラムの名を借りて犯罪を繰り返す者が増えてしまった。

ここの政府軍や軍警察はマイドゥグリにいるというだけでかなり稼げる。
リスクを負って市を守っているから。
だから本当はこんなに必要なくてもここにいなければならない理由をつくるのだとか。

政府軍兵士が女性をレイプしたことも、裁判所に向かう女性を乗せた私たちのドライバーを鞭打ちにしたことさえある。
マイドゥグリにはキリスト教徒も多くいるが、女性は皆肌を隠している。
彼らに狙われるのが怖いかららしい。


ここに来る前「ボコハラムに誘拐されたらどうしよう」とか私も実は不安だった。だが今私が恐れる相手は彼らだけではない。軍の兵士や警察、それからボコハラムを装った者たちに警戒せねば。

現地の人でも、「ボコハラムが・・」と言う人もいれば「武装強盗が・・」って言う人どちらもいる。
知らない人だってもちろん多い。

テレビのニュースでは当然「ボコハラムが」と報道されるから、ここにいてもなかなか本当のことを知ることができない。


マイドゥグリでは毎日戦車が街の中を通り、パトロールする。メイン通りにも検問はいくつもある。人々はそんな暮らしにももう慣れてしまった。


UNIVERSITY OF MAIDUGURI
ここで英語を勉強しているMaryamに会った。彼女の家族はここを離れて今アブジャで暮らしている。彼女は大学内の女子寮に住んでいる。

BRTVに心からのお礼を。
彼らなしではここまで私も動けなかっただろう。

0 件のコメント: