2012年12月27日

砂漠のど真ん中で



ホストのダダとヌアクショットからタクシーに乗り、砂漠の中の村Maata Mulanaへ。


途中の礼拝休憩にて。左の建物は小さなモスク。

“Maata Mulana”とは「神様からの贈り物」という意味。
砂漠の中にある小さな村だ。

村人はここで生まれた人だけでなく、アラビア語やコーランを学ぶために首都ヌアクショットや他の市、国から来た人、巡礼のために来た人などさまざま。
私がお世話になったホストファミリーは南アフリカ出身。
アラビア語を学ぶために来たという。


ここでは都会とは全く別の時間が流れている気がした。
のんびり、でもあっという間に一日が過ぎていく。

インターネットも携帯の電波もない。
時計も誰も持っていないので今何時なのか分からない。

モスクから聞こえてくるアザーン(礼拝の呼びかけ音)で時間を知るのみだ。

気づけばクリスマスが過ぎていた。
そろそろクリスマスじゃない?と友達に聞くと、さあ?どうでもよくない?と。
ですよね。

日中は暑いのでほとんど外に出ない。
4時に一日の始めの礼拝で目が覚める。その後また寝て8時頃に朝食をとる。

のんびり会話したり家の掃除をしたり昼食や夕飯の用意をしながら時間をつぶす。
家の外に出なくても毎日誰かが家に訪ねてきて、お茶を飲みながら会話を楽しむ。


コーランが書かれた書字板。子供達はこれでコーランを読む。
子供達はアラビア語学校、コーランの学校など忙しい。

こんな小さな村にも学校や病院はあるが全てタダ。
先生や医者は政府から支援されている人たちか、ボランティア。
「この村に仕事はあるの?」と聞くと「あるけど給料はないよ」と。それで成り立ってる(?)のがすごい。

そして外国人が意外と結構いる。
フランス人、モーリシャス人、ベルギー人など。彼らは元銀行員だったり投資家だったりと、実は結構お金持ち。
仕事など全て捨て、ここにやって来たのだそう。

都会の生活と比べたら、そりゃあ不自由だらけだろう。
でも彼らがここを選ぶ理由が分かる気がした。目に見えないけれど、この村にはひたすら愛が溢れている。


シャワーも浴びられない、ハエと蚊だらけだし、砂漠のため体は砂埃まみれだ。
でも全く苦に思わない。不便かも知れない、でもそう感じない。

きっと毎日素敵な出会いと発見、感動があるからなのだろう。
始めは2日間だけここにいる予定だったが、離れられなくなり結局5日間過ごした。
もっといたかったとさえ思う。不思議だ。
日本にいたらたった1日でもシャワー浴びられないと落ち着かないのに。

私のホストファミリーは南アフリカ出身でロンドンにも何年か住んでいたことがあり、
家族内での会話は全て英語だった。
5歳の娘と7歳の息子。
れぞれ、パキスタン、ロンドンで生まれ、去年ここに移住してきたばかり。
都会での生活ももちろん知っている。でもここの生活の方が気に入っているらしい。
唯一恋しいものはアイスクリームだって^^

私のホストファミリー宅では、日没後から22時頃までの数時間、わずかな電気が使えた。
基本的に、電気の代わりにたき火、水道の代わりに遠く離れた場所から汲んできた水で毎日やりくりしている。
食べ物もすべて自給自足。

ゴミもほとんど出ない。生ゴミはすべてロバやヤギの餌になる。
メモ代わりに使った紙なんかは、ヤギが食べてくれる。(これはマジで食べていたのでびっくり。クロヤギさんとシロヤギさんの歌は本当だったんだね!)

トイレもこの辺では皆ペーパーを使わない。水と手を使う。
私は最初かなり抵抗があったが、慣れるとペーパーなんて実は要らないんだなと気付く。(汚い話でごめんなさい笑)。

ここでは私も常にメルハバという大きな布で体を全て覆っていた。
ここにいる人は皆熱心なイスラム教徒。
イスラム教徒以外の人間を見たことのない人だってたくさんいる。

だからといって、非イスラム教徒を差別するようなことは決してない。
イスラム教徒だろうとキリスト教徒だろうと、モーリタニア人だろうと日本人だろうと、
この村の人たちは誰でも喜んで受け入れてくれる。


金曜日の礼拝へ行った。泣きながら礼拝している人を何人も見た。

私の友達ダダも、ここに来るとアッラーとの距離が近くなるのを感じる、モスクに行って礼拝すると様々な思いが込み上げてくる、と言っていた。


ベッドは屋上^^
もちろん、光などないので辺りは真っ暗。月の明かりが頼りだ。
こんなに星ってあったんだと思うくらい、何億もの星がちかちかと光る。

5つ星ホテルに泊まっている金持ちたちよ、ここに来れば5つどころか何億もの星の下で寝れるぞ!


コーランを暗唱している女の子。これをクリア出来れば大学卒業の単位がもらえるのだとか。


最後の日の夜、女の子たちと伝統の踊りを楽しむ。
楽器なんてないけれど、水のタンクや木の枝でリズムをとる。
小さな頃に戻った気分だ。おもちゃなんてなくても、周りにあるもので工夫しながら楽しむ。
最後にふさわしい夜でした。

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