2012年9月14日

イラク領クルディスタンへ


翌日、朝起きるとお腹に異変が。激しい腹痛と下痢・・
これは後で分かったことなのだが、急性胃腸炎でした。

30分置きくらいにトイレに駆け込んでいた。この日は郊外へ散歩しにいこうと思っていたのだが、とてもじゃないが外出なんて無理だった。胃が突き刺すように痛む。
何が原因なのかも分からないのでどうしたらいいかも分からず。とりあえず寝ることに。

いくら寝ても具合は良くならない。食欲もなく、塩水をつくって飲んでいたが、水を飲んでもお腹が悲鳴をあげる。

夕方になって熱が38度出てきたので、バファリンを飲み、蒸しタオルで体を拭き、再び寝る。

翌日熱は治まったが、腹痛と下痢は相変わらず続く。
正露丸を飲んでも全く効果無し。疲労がたまっていたのかも知れない。
その日も一日家でゆっくり過ごした。

次の日(14日)、ようやくお腹の調子もよくなり、復活。
バス停へ向かい、イラク領クルディスタンへのバスに乗る。まあ治ったその日に移動するのも馬鹿だとは思うが、何しろじっとしてられない性格なので。バスの中で休もう、と。

バスで隣に座っていた女の子Medyaと会話。イラク領クルディスタンに行った後はぜひ私の家に来て、と言ってくれた。

彼女の家はShirnakという、国境近くの小さな街にある。


国境が近づくとトラックのながーーーい列が。
10kmはあったと思う。運転手が気の毒だ。彼らは地べたにシートを敷き、他の運転手たちとお茶を飲んだり、昼寝したりしていた。
1ヶ月以上待たされることもあるのだとか・・。

ようやく国境に到着。トルコ出国は特に問題なく通過。

続いてイラク領クルディスタン入国。入国手続きカウンターにパスポートを預ける。5分ほど待ったところで”Miss Suzuki”と名前を呼ばれる。
「ビザは?」と聞かれたので「日本人はいらない」と答えると「誰が言ったんだ」と。「ネットで調べたらいらないと書いてあったが・・」と言うと「去年まではそうだった。だが今年から違うんだよ」と。

まじか。でも頼む、入国させてくれ・・。

「何とかならないか。ただの観光だから」というと「ちょっと待って、電話して聞いてみる」と言われ、10分ほど待つ。
だが返事はノーだった。「やっぱり無理みたいだ、ごめんよ。イスタンブールかアンカラに行けば取れるから。友達がいるならインビテーションレター発行してもらえば簡単だよ」と。
もう何言っても無理だろう。

別の警察が車でトルコ入国局まで乗せていってくれ、再びトルコ入国。
来た道をまた戻るって悔しいね。まあ、こういうこともあります。。

すごくすごく楽しみだっただけに悔しさは半端ないが・・。アンカラかイスタンブールで取れたら行こう。

トルコ入国前、イラク領クルディスタンの兵士らに話しかけてみた。クルド語で「スパース」(ありがとう)と礼を言うと満面の笑みで「クルド語をしゃべれるのか!」と。
私が知っているクルド語はスパースだけなのだけど・・。明るくて良い人たちだったなあ。

さてトルコ入国。また厳重なチェック。
パスポートを見たトルコ警察が、色々と質問してきた。バックパックの中身も久しぶりにチェックされた。
「武器、大麻、アルコールなどはあるか」 「ノー」
「ここで何をしている?」 「観光」
「イラクで観光?職業は?」 「学生、入国してないよ」
そんな質問を複数の人からされた。まあ普通は観光客なんて来ない場所だし、怪しむのは当然だ。仕方ない。


チグリス川と夕焼け。国境にて。

帰りはイラク領クルディスタン側の入国局が用意してくれたタクシーで。
さて、どこに行こう・・。と、ふとバスで会ったMedyaのことを思い出した。

Shirnakはここから1時間ほど。彼女に電話してみると、おいで、と言ってくれた。タクシーの運転手にCizreまで乗せていってもらう。

Medyaのいとこが迎えに来てくれて、まずは彼らの家へ。
夕ご飯をごちそうになり、その後バスでShirnakへ向かう。Shirnakは山の上の小さな街。この日は街全体で停電していて、辺りは真っ暗。

無事Medyaに会え、彼女の家へ。

長い一日だったなあ。
夜、ベランダから流れ星が見えた。とその次の瞬間どこからか銃声音が。トルコ兵か、PKKか、ホストもどちらか分からないと言っていた。銃を置いて、一度星を眺めてごらんよ。こんな綺麗なのにー。

そしてこのあと、また腹痛に襲われました・・。

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