2012年10月10日

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所




クラクフからバスで1時間半ほどのオシフィエンチム市にある、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所。
Krakow Glowny駅から中型バスが一日に10本ほど出ている。

大型のバスや、クラクフからのツアーもあるが、こちらは予約が必要。料金は中型バスで片道14zt

 

アウシュビッツは、1940 年にポーランドの政治犯を収容する刑務所として建てられた。が、その後ナチスドイツはヨーロッパ各国からここアウシュビッツ=ビルケナウユダヤ人、政治犯、ジプシーらを強制的に送り出し、健康な者は働かされ、不健康なものは順にガス室に送られた。正確な数は確かでないが、少なくとも130万人は運ばれたと言われている。

当時使われていた建物がそのままここには残されている。
入館料は無料だが、私はガイドをつけたので40zt1000円ほど)払った。3時間半、各建物をまわって細かく説明してくれるのでおすすめ。英語、ドイツ語、スペイン語、ヘブライ語、ポーランド語、それから日本語のガイドさんもいるらしいです。

やはり、ここでよく耳にした言語はヘブライ語。
ユダヤ人の団体が多い。それからドイツ人も多かったなあ。


ARBEIT MACHT FREI-“WORK SETS YOU FREE”「働けば自由になる」
ここにいた収容者たちはこの言葉を信じてなんとか生き延びようとしていたのだろう。


ヨーロッパ各国から連行されたユダヤ人や政治犯、それからジプシー。


使用済みのガス缶。
ここでは何一つとして捨てられるものはなかった。女性の髪の毛や、脱がされた靴、ぼろぼろになった服まで全て再利用された。

アウシュビッツ到着後、約70%の人が登録など記録を残さずに直接ガス室に連行されたという。
そのためガス室で殺された人数は今でも正確に把握できていない。

私がここを訪れたのは108日。気温は10度ほどで手袋が欲しいくらいだった。
冬はマイナス20度を下回ることもあるという。

収容者は十分な防寒具や毛布も与えられず、暖房器具が一つあるだけのバラック(もともと馬小屋として使用されていた建物)で夜を過ごし、昼は屋外で働いていた。
飢えや過労だけでなく、寒さで凍え死ぬ者も多かったことだろう。

バラック内中央には、コンクリートに穴があけられただけのトイレが設置されている。
目隠しするものなど何もない。
トイレは12回に制限され、決まった時間に皆一斉にトイレを使用していた。


ここにいるとき、何度もイスラエルのことが脳裏に浮かんだ。
ユダヤ人の歴史をこうして見ているとなんだかモヤモヤしてくる。
でも、自分らの国を持たなかったユダヤ人が、この第二次大戦後にイスラエル建国に及んだのも無理はないような。パレスチナ問題で他国から咎められても、この歴史があると一概に責められないなあと思ったり。
だからといってパレスチナ人を迫害していいわけではないのだけど。

ユダヤ人はどの時代でも批判の対象となっているのでは。

ベルリンにあるJewish Museum、アムステルダムにあるアンネの家も訪れてみよう。それから、少し先になるがイスラエルも。

クラクフにはユダヤ人地区がある。
シナゴーグやユダヤレストランなど、その地域一帯ユダヤ人を多く見ることが出来る。

小さな本屋の店員さんに「一体何人くらいのユダヤ人がクラクフに住んでいるのか」と聞いてみたが、「ここにいるユダヤ人はほとんど住民登録をしていない者ばかりだから正確な数は誰も分からない」と言われた。


ユダヤ人地区内ではよく見ることができる、ANTI FASCISTの文字。


どうでもいいが、こんなホステルも見つけた。GOOD BYE LENIN!!

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