2012年10月3日

キエフ、チェルノブイリ博物館を訪れて



ウクライナ、キエフ。
昨日まで半袖のTシャツでいた自分が信じられないほど寒い。

イランからずっと北上してきているのと同時に、冬がやって来ている。
嬉しいのは、物価の安さ。日本を出て、西に来るほど物価がどんどん高くなっていたのだが、ここに来て一気に中央アジアに戻った気分だ。場所を選べば100円以下でお腹いっぱい食べられる(お洒落なレストランでも300500円ほど)。

交通費も安い。メトロでどこまで行っても20円だ。

ウクライナ語はロシア語と近い。
同じキリル文字を使い、数の数え方もほぼ同じ。キリル文字を読めるだけでも大分助かった、と思った。ロシア語はほぼどこでも通じるが、使うと嫌な顔されるので使わない方が無難。


ここに来た理由の一つ、チェルノブイリ。
キエフからは130キロほど離れた場所にあるチェルノブイリ原子力発電所。
1986年4月26日、まだソビエト連邦だったころに起こった事故。作業員や周辺住民含め多くの犠牲者が出た。 

現在もチェルノブイリ周辺の地域で生まれる子供たちの80%は健康になんらかの異常を持つと言われている。

キエフ市内の、少し隠れた場所にあるチェルノブイリ博物館。
道を聞いても、知っている人が少ない。
誰に聞いても知らないと答えられたので、小さな劇場に入って道を聞いた。

メトロのKontraktova駅から5分ほど歩いた場所にある。入館料は10グリヴナ(100円ほど)。50グリヴナ払えば英語の音声ガイドを借りられる。


入って、まず目についたのがこの詩。左はウクライナ語、右は日本語だ。
中央でスライドショーされている写真は、東日本大震災後に撮られたもの。


他にも広島と長崎に投下された原爆の映像や被害者の写真、日本から送られた千羽鶴を展示するコーナーも。
メッセージ本が館内に置かれていたのだが、日本人来館者からのメッセージもよく見かけた。やはり福島の原発事故後、ここを訪れる人も多いのだなあと。


事故後、命を失った子供たち。
奇形児の写真も何枚か展示されていた。
映画「チェルノブイリハート」でも紹介されていたが、奇形児として生まれ捨てられた子供たちがチェルノブイリ周辺地域には多く、この地域の孤児院の数も事故後増えたという。

実はキエフ市内からチェルノブイリ原発までのツアーも存在する。
ただし130キロの距離で$160。「放射線量が低下したから」ツアーを開始したらしいが、博物館の人に聞くとまだチェルノブイリ周辺の放射線量はかなり高いらしい。

キエフでは3日間ほど過ごし、3日の夕方再びキエフの列車駅(Khreschatic)へ。
16:50発の列車。次に向かうのは西部のポーランド国境近くの街Lvov(リヴィウ)
運賃は67グリヴナ(670円ほど)。

寝台列車で約8時間の旅、670円は安いぞ(キエフ−リヴィウ区間は基本6時間で行ける距離だが、高速列車だとチケットの値段は300円ほど高くなる)。

このチケット、前日に駅で購入したのだけど、チケットカウンターが30箇所以上あって聞く人みんな違う場所を指すので大分時間とられた。
30分以上列で待ったあげく、「ここじゃない、別行け」と。。
キエフからリヴィウ行き列車のチケットは、正面玄関から入って左のホールにある7,8,9のいずれかです。

列車は予定通り出発。乗客数はかなり少なかった。
私はなんと一つの客室貸し切りでした^^

用意しておいた夕飯をホストの家に忘れてしまい、仕方なく途中の駅でピロシキを2つ購入。
自分の客室には誰もいないので、基本通路に出て景色を眺めながら周りの人と話していた(英語を話せる人はいなかったが・・)。

5時に着く列車だったのでこの日は22時頃に就寝。


列車は相変わらずよく揺れるが、その分眠気を誘ってくれます^^
本を読んでいるとたまに酔ったりするので注意。

翌朝きちんと到着1時間前に車掌さんが起こしにきてくれた。
時間通り、5時半にリヴィウ駅到着。ホストとは7時に教会前で待ち合わせ。

駅からまっすぐ歩いた場所(駅からは道一本しかない)に大きな教会があったので、これだなと思いそこで30分ほど待ち、その後無事ホスト宅へ。

リヴィウ−クラクフ編につづく。。

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