2012年10月23日

ベルリン



ミュンヘンからは再びカーシェアリングを使用。結構投稿数も多いのでおすすめ。
こちらがリンク→http://www.mitfahrgelegenheit.de/

19日の午後に出発するドライバーを見つけたので早速連絡をとる。
相手はおじいちゃんで英語を話せなかったのでホストに電話してもらう。
ベルリンまで25ユーロ。

待ち合わせの14時半、駅で待つもなかなか現れない。
「駅で待ってるよ〜」とメールしても返事がしばらく来ない・・。

20分ほど待ったところで返事が来たが当然ドイツ語。
近くにいた若いお母さんに訳してもらうと、

「衝突事故起こして運転できない状態だ、ほかのドライバーを探してくれ」

とのことらしい。なんだと!

このとき既に15時過ぎ。
これからヒッチハイクしようか・・とも考えたがヒッチハイクスポットまで行くのにも30分以上かかる。

それからこの時間にベルリンまで行く人を探すのはそう簡単ではないだろう。
ベルリンまでは最低6時間。暗くなる前に目的地には着きたいものである。

お世話になっていたホストのShah Rokhに電話すると、「帰っておいで」と言ってくれた。
なんだか申し訳ない気持ちになったがここは甘えさせてもらうことに。

その後、28ユーロで翌日の昼前に出発する運転手を見つけ、連絡するとオッケーの返事が。
やれやれ・・。

なんだか一日を無駄にしてしまった気分だが、まあ仕方ない。
もし私があの運転手の車に乗っているときに事故を起こしていたら・・と思うとぞくっとするね。

翌日、無事ベルリン行きのドライバーにも会え、3人で車をシェア。
ドライバーは若い男の子だったが英語を話せず、もう一人のおじいさんも話せず。
車の中はしんとしていた。話しかけても「ああ」と言われるのみ。

カーシェアリングに投稿する人の中には、旅を共にして会話を楽しみたいって人と単純にただお金を稼ぎたい人、の2パターンがいるようだ。
残念ながら今回のドライバーは後者。6時間あの沈黙はちょっときつかったなあ。


ベルリンといったらベルリンの壁。
1961年から1989年までドイツを共産主義の東ドイツ、自由・資本主義の西ドイツに分けていた壁。1ユーロ払えばパスポートに「東ドイツ」「西ドイツ」のスタンプを押してもらうこともできる。

  
写真はEast Side Galleryにて。


あまり博物館には行かないのだけど、ここで一番気になったのは”TOPOGRAPHIE DES TERRORS” (テロのトポグラフィー)。

第二次世界大戦時のゲシュタポ(秘密警察)やナチス、国家保安部の構造や歴史を写真や文書、音声や映像で紹介する博物館。いわゆる、ナチス資料館です。
入館料は無料。

この博物館は、当時ナチス本部が置かれていた場所にある。
たった6070年ほど前の出来事とは思えない。
当時のナチス支持者の中でまだ生きている人もきっと多くいるだろう。
彼らは移民国家と言われるようになった今のドイツをどう捉えているのだろうか。
それから政府の中にも当時ゲシュタポやネオナチだったがいるのでは ・・とも思う。

この博物館に置かれていたパンフレット。
ドイツ語の次に多く減っていた言語は、英語でも中国語でもなくヘブライ語だった。小さなことだけど、私には印象的でした。

そしてその日の夜は”Anti Zionism”の団体設立者であるパレスチナ人のSidiと会う。Zionism(日本語ではシオニズム)とはイスラエルにおけるユダヤ人国家建設運動。彼はガザ出身で、4年前にドイツに移住。
私がその日に行った博物館の話をすると「ユダヤ人の虐殺されている写真を見たら涙が止まらなくなるだろうから僕はまだ行けない」と言っていた。それを聞いてなんだかほっとした、というよりも心が動かされた。
アンチシオニズムであって、アンチユダヤ人ではない。ユダヤ人からすればAnti Zionismの団体設立者なんて、反ユダヤ主義者に見えるかもしれない。

実際イスラエル人に批難されたことは何度もあると言っていた。「あんたみたいな人種差別主義者が世界を狂わせている」と言われたこともあるという。

私も会う前は「相当過激な人なんだろうなあ」とか思って少し緊張していた。会う前に私にYouTubeのガザ地区戦闘の映像を送ってきていたくらいだから。
でも人って会って話してみなきゃわからないね。


ベルリン市内にあるモスクに連れて行ってもらった。外から見れば普通の建物だが、中に入ればそこはイスラムの世界。一階が男性、二階が女性用。
ドイツ国内ではモスクを建てることは禁止。礼拝呼びかけのアザーンも禁止。

 ベルリン最後の夜はHard Rock Cafeへ! ここ数日で一番癒されたね^^


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