2012年8月5日

シラーズ



Yazdで会ったチェコ出身のパッカーJanyh Ondrejと一緒にバスでShirazへ向かう。



彼らはイランの次パキスタンに行くという。

10時発のバスだったが何やら問題が発生したらしく、バスから追い出され1時間待ち結局11時過ぎに出発。
定時にバスが出発したことがない。

前回の教訓を得て、今度は日中のバスにしたので途中の景色を思う存分楽しめた。
砂漠か岩しかない場所をバスでひたすら走り、6時間ほどでシラーズに到着。

今回のホストは、日本から上海へ向かう船の中で会った石油会社で働くBijanの家族。
残念ながらBijan本人は今出張で上海にいるが、彼の家族が私をホストしてくれることに。

彼の奥さん、息子(22歳)、娘(16歳)の3人とも英語を話せる。
日本へ何度か行ったことがあって、家の中には日本の食器や調味料が。胡麻ドレッシングがあることが何より嬉しい!

ヤズドも暑かったがシラーズはもっと暑い。初日は42℃もあった。
そんな中JanyhOndrejも一緒に、市内よりもっと暑いペルセポリスへ。


これはアケメネス朝ペルシア帝国の都。世界遺産にも登録されている。
紀元前331年にアレクサンダー大王らに破壊された。英語の説明文が所々にあったので読んでいると、世界史の授業で聞いたことのある名前ばかり出てきて、ああ何でもっとしっかり勉強しておかなかったんだ、とまたまたまた後悔。

高校の世界史の授業で一番嫌いだった時代だ。年号と名前を覚えるのが嫌でたまらなかった。今こうして旅しながら勉強していると世界史ってめちゃくちゃ面白くてわくわくするんだけどね。


きちんとPraying Roomも用意されている。

ペルセポリスまで乗せて行ってくれて帰りも送ってくれたタクシーの運転手はとにかくクレイジーだった。
彼は完全にいっちゃってる。突然笑い出したり大声で歌いだしたり。
面白かったからいいが、あまりに暑すぎて私たちは彼のノリに合わせる余裕などなかった。


翌日はホストファミリーとシラーズの街を散策。
中央の文字は古いペルシア語。5000年前に使われていたものだ。


シラーズ出身の詩人Hafizの墓。ゲーテも彼に影響されたといわれている。
イランは著名な文学者が多くいるらしい。
言葉はわからないが、ペルシャ語は美しい響きなんだよなあ。ゆっくり、伸ばすように話す。
サラーーーム、チェトゥリーーーー?
やかましさがないというか。


その日の夜はホストのArmanと彼の友達Ehsanとドライブ。
とにかく半端じゃないくらいに運転が荒い。いつ衝突事故を起こしてもおかしくないような勢いで夜の街を突っ走る。

彼ら曰く、何もかもが規制されているイランでは、こうして友達とドライブを楽しむほかないのだという。そして可愛い女の子を見つけたら声をかける。
バーやパブはないので、飲みに行くこともできない。クラブなんてもってのほか。
よく考えてみたら自然なことだ。日本ではクラブやバーなどで男の子たちがするようなナンパを、彼らは街やタクシーの中などでやっているだけだ。


これは友達の別荘でのホームパーティー。見てわかるように、日本やヨーロッパと何の変わりもない。仲のいい友達同士集まって、お酒を飲みタバコを吸い、好きな音楽をかけて自由に踊る。

女の子もここではヒジャブもチャドルも脱いで好きな格好で過ごし、カップルも自由にいちゃいちゃできる。「これもまたイランだ」とArman。自分の見ている光景が信じられなかった。


イランの曲をギターで演奏してくれた。
一歩外に出れば自由のない彼らが、今こうして友達と自分たちなりにやれることを探して楽しんでいる。
「私たちは今この瞬間にも、いつ警察が来て私たちを逮捕するんじゃないかとビクビクしている。それでもやっぱり楽しみたいから毎週こうやって集まっているの」とMaryamが話してくれた。

イスラム国家だからといって、国民全員がイスラム教な訳ではない。断食していない人は実際多い。
多くの日本人のように無宗派の人だってたくさんいる。 
でもイランの法律はイスラム法典が基となっているから、誰もがそれに従わなければならない。
本当は何も気にせず自由に遊びたい人だっていっぱいいるのだろうに。

キルギスにいるとき、イランに行くと話したら何人もの人に”Are you fucking crazy?” “Do you wanna die?”と言われた。奴らはテロリストだと言う人もたくさんいた。
そしてここにいるみんなも、イランがそのように見られていることを知っている。

彼らの笑顔を見ていると、嬉しくてほっとするのと同時に、世間に報道されているイランと実際今見ている光景とのギャップを改めて身で感じて悲しくなる。

何で彼らがそういった目で見られなければならないのか。政府と一部の人、一部の地域で起こっていることがその国全体の印象を変えてしまう。

「今日ここで見たこと感じたことを家族や世界中の友達にぜひ伝えてね。でもイランの政府には見せちゃ駄目だよ(笑)」Ehsanが最後に言ってくれた言葉だ。

ああ今すぐこれを発信できたらいいのに。残念ながらこのブログを公開できるのは2週間後・・


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