2012年8月15日

Mt. Damavand 一日目


夏といったら山だ!

毎年夏は北アルプスの山を登っていたが、もちろん今年は登れない。 という訳で、中近東最高峰の山ダマバンドに挑戦。

ダマバンド山はテヘランから60kmほど離れた場所に位置する。標高は5610m。富士山より約1800m高い。

山に行く前日、必要なものを買い揃えに市場へ。缶詰やナッツ、果物など。ポールやダウンジャケット、酸素スプレーなどは友達から借り、いざ山へ。

15日、5時出発。
その日のホストNavidにバス停まで送ってもらい、市内のバスターミナルTehran Parsへ。
そこから、ダマバンドの手前にある街Plureへ向かうバスに乗る。約1時間で到着。

今度はPlureからダマバンド登山口Gosfand Saraまで行くためにタクシーを捕まえる。最初に交渉した運転手は50000トマン(23ドル)だと言ってきたので却下。
歩いていると同じように登山の格好をしたおじいちゃんを見つけ、「Gosfand Sara?」と聞くとそうだと答えた。安いタクシーを見つけ、シェアして登山口へ向かう。

一人20000トマンと言われたが交渉し15000トマン支払い。道が混んでなかなか着かない。



登山口のGosfand Sara2910m)。名前は「羊の家」という意味。
ここからキャンプ地までは馬やロバも荷物運びのため行き来する。
重い荷物を持って登るのが嫌な人はお金を払えば彼らが持って行ってくれるって。

12:30ようやく入山。登り始めてまもなく息切れがする。いきなり高い標高から登り始めたからかな。

最近登った一番高い山が
3106m。少し登っただけでその標高は越えてしまう。
しかも日本を出てから全く運動などしていない…。

たまに小さな山を登りに行ったくらいで、あとはバックパック背負って歩いているだけ。登り始めからこんなに息が切れてしんどくなるのは初でした。

さすがにこの日はラマダン中でも断食せず、きちんと飲んで食べる。
特に水を飲むと一気に呼吸が楽になる。

斜度は全くきつくないし、鎖場やはしご場がある訳でもない。
とりあえず標高に慣れないといけないと思った。 頭痛などはなかったが、とにかく息が切れてしんどい。

日差しも強く、そんな中でもやっぱり長丈のゆったりした服にヒジャブ。
もう頼むから山の中くらい自由にさせてくれ。


一緒に登っていたおじいちゃんMajibさん。彼はダマバンドに12回登ったことがあるという。
日本でもそうなんだけど、ここイランでも中高年のおじさんおばさんって本当強いわ。

基本すれ違う登山者って4060歳くらいの団体。みんなスタスタと登って行く。
すれ違うときにみんな決まって「Khastenabashid(たぶん日本語で『お疲れさま』)」と言ってくれる。


途中何度も荷物を乗せたロバや馬が通り過ぎる。

登り始めてから4,5時間過ぎた頃から、荷物の重みが腰と肩にくる。
実は初のソロ登山。しかも初のテント泊。さらに初日だから4日分の食料もあった。そりゃ重い訳だわ…。


目標の5時間から1時間オーバーして、18時半ようやくBargah Savom Camp(通称アタックキャンプ)に到着。まだまだ明るい。
ここの標高は4220m。いるだけで息が切れる。

だが着いてもゆっくりしてられない。とにかく暗くなる前にテントを建てなければ〜。
山小屋から近い場所にいいスペースを見つけ、そこにテント設営。

近くにいた男性2人組EssiJalfaとお互いの食べものを分け合いながら夕飯。
彼らはイスファハン出身。なんとEssiは、私のイスファハンのホストShantiyaの店で昔働いていたという。
なんて偶然。世界って狭い。

日が沈むと一気に冷える。持っている服を全て着込み、就寝。
このときの気温はマイナス12度。山小屋に余っている毛布を一枚もらって、寝袋の中で丸くなりながら目をつむる。

なかなか熟睡できず、1時間置きくらいに起きていた。これも高山病の症状の一つみたい。
本当なら寝る前に500mくらい登っておくべきだったのだけど、あまりに疲れていてそれを怠ってしまった。。

ようやく寝付けたところで今度は誰かが私のテントに入ろうとしてくる。
”Cold? Cold?”と、男の声だ。意味が分からなかったが”I’M OK, GO BACK YOUR TENT!”と返す。

それでもまだ中に入ろうとしてくるのでいい加減にしろ、頼むから寝かせてくれと怒鳴り追い出した。イランの山でテント泊、当然こんなことも起きるよなあ。

するとまた息が苦しくなり、激しい頭痛が襲う。 水を飲んで落ち着かせる。聞いたことのない声だったが、まじであの男許さん。。

続く。

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