2012年7月6日

キルギスからウズベクへ


 

7月3日、キルギスに来てから丁度3ヶ月目のこの日、オシュから約20分の場所にある出国局へ。ついに出国!

長い列があったが、Touristは別の場所へ。列に並ぶ必要はありません。

出国は特に問題なし。200mほど歩いて今度はウズベク入国!
入国前にキルギスソムをウズベクスムに換金。お金の単位がやたらとでかい。$1=2800スム。$60ほど換金したらとんでもないことに・・


そして出国。ここでも、周りの人たちが助けてくれる。
第一声は決まって「コリア?」。「ヤポン!」というと「おいここに日本人がいるから皆通してやれ!」と列の先頭まで連れて行ってくれる。

入国はやはり厄介。デジカメの写真、パソコンの中の写真は全てチェックされた。
さすがは独裁国です。これは私が悪いのだが、この日テキサス出身の友達からもらった「Texas Journalism」と書かれたTシャツを着ていた。
Journalismという言葉はここではタブー。だから余計入国に時間がかかってしまったんだよ、と後からホストファミリーに言われた。

入出国にかかった時間は約2時間。ウズベキスタンに入ってからはタクシーをつかまえタシュケントへ向かう♪
タクシーの中には親子(お母さんと息子)とおばあちゃん。

英語は話さないが親切でウズベク語をいくつか教えてくれた。キルギスでは年配の人がキルギス語を話し、若者はロシア語を話していたが、ここでは逆。
年配の人はロシア語を、独立後ウズベキスタンで生まれた者はウズベク語を話す。


途中寄ったマーケットにてSim Cardをおじさんから100円ほどで譲ってもらった。
どうやらこのおじさん、誰かから携帯を盗んだらしく、以後知らない人や元の持ち主からの電話が絶えない。
「それ俺のSim Cardだ、返せ!」と言われたり、昨日は誰かから愛のポエムが送られてきたりしたとか(笑)

シルクロードの中心地とも呼ばれるウズベキスタン。
国境からタシュケントまではひたすら荒れ砂漠や山が続く。本当に何もない。

入国後約6時間走ったところで、ようやくタシュケントに到着!



ちょっとウズベキスタンについて書いてみよう。
ここでは外国からの観光客が現地の人といるのはあまり好ましくない。
というか、現地の人が外国人をホストファミリーとして受け入れることは政府により禁止されている。国内の情報を外部の人に伝えられては困るからである。

私がビザを取るときには特に問題はなかったが、ヨーロッパやアメリカ、他国出身の人が取るときにはホテルの予約が必要。もちろんそれでも多くのパッカーはホスト宅にホームステイしているが、友人の家に泊めてもらうなどぽろっとでも言ってしまったらビザ取得できないのだとか。

日本、韓国、中国は石油をウズベキスタンから大量に安く輸入する代わり、毎年政府に補助金を払っている。
だからビザ代も、私は1ヶ月の滞在でたった$15だったが、ヨーロッパの人たちは2週間の滞在に€7080払わなければならない。

ソビエト解体後、カリモフ大統領が現在に至るまで権力を握り続けている。
電気・水・ガスがまともに使えるのは、タシュケントとその他2市ほど。国民の40%は一日2ドル未満で暮らしている。

平均年収は$2600。月に約$200ほどしか稼げない。物価はビシュケクよりも安く、地下鉄やバスはどこまで行っても700スム(約20円)。
だがムスリムが国民の大半を占めるこの国、子供は一世帯当り4〜6人が普通。彼らを養うのに月$200はあまりに少ない。

ビシュケクでは毎日のようにホワイトハウス前で市民が抗議をしていたが、ここではそんな光景は決して見られない。
毎日大統領がメイン通りを車で通過するが、その際そのメイン通りにつながる道路は全てシャットダウン。市民は歩道に出ることさえ出来ない。

何台ものパトカーが大統領の乗った車を前後左右で挟み、道沿いには警察が立ち並び、厳戒態勢で大統領を送り出す。

中央アジアの国でもカザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンはそれぞれ違った色があり、変化を見るのがなかなか面白い。
政治、経済、文化、数時間車で走れば全く違った世界を見ることができる。

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