2012年7月11日

ブハラ



サマルカンドをバスで出発し、約3.5時間でブハラに到着。
大型バスで、15000スム。隣に座ったおじさんと身振り手振りで会話しながら暇をつぶす。

バス停でホストのHikmatと会う。彼はサマルカンドのホストOybek の友達。彼の家族も近所の人々もみな温かく私を迎え入れてくれた。

彼の家にはシャワーはない。代わりにサウナがある。やかんで沸かしたぬるま湯を大きなバケツに溜め、小さなバケツで体を洗い流す。ブハラはサマルカンドよりも暑い。そしてハエがとにかく多い。


 ブハラではサマルカンドとはまた違った世界を見ることができる。
大きな建物も多いが、ここでは古い街並みをより楽しむことができる。よく小さな子供に”Hello, how are you?”と話しかけられた。
外国人観光客が多いこの街。子供たちは覚えた英語を使いたいのだそう。


シルクの絨毯。中央の大きなものは2500ドルだそう。
市の中心から少し離れたところに行くと、コットン畑が広がっている。シルクだけでなく、コットンも重要な産業品。

イスラム教の中心地とも言われたブハラ。サマルカンドやタシュケントよりも宗教色が強い印象がある。

ここでもまた、世界史をもっと勉強しておけば良かったと後悔。
アッバース朝やサーマーン朝などよくノートに取った名前を耳にする。16世紀後半にブハラ・ハーン国の中心として栄えた街。
レンガの城壁やモスクなど、500年以上前の建物が残され続けている。ウズベキスタンがソビエトから独立してから、この街は歴史的に重要だとして世界遺産に登録された。

   

Hikmat 7人家族で、英語を話すのはHikmatのみ。
彼の家族だけでないが、ムスリムの家族にとって娘が一人海外へ旅することはあり得ないこと。家族は何も言わないのか、なぜウズベキスタンへ来たのか、どうやってお金を貯めたのか。

まあもちろん私の親は心配しています。もちろんこれは私も理解できる。
自分に娘がいて、一人でどっか行ってしまったら不安でたまらないだろう。たまに3日ほど連絡しないでいると、お母さんから「大丈夫?無事?」とメールがくることも。

なぜウズベキスタンへ来たのか。これは正直通り道。
キルギスから西へ向かうにはウズベクを通る。
でもタシュケントにいたときは、ウズベキスタンという国に全く魅力を感じなかったが、ここブハラやサマルカンドを見ると来ておいて良かった。

タシュケントは綺麗で近代的な街だが、私にとってはあまり面白みが全くなかった。
政府がお金があることを自慢したくて新しい建物を次々に建てたようにしか見えない。
街並みだけ見ればリッチだが、そこに住む人のほとんどは貧しい生活を送っている。

どうやってお金を貯めたのか、という質問。
小1のときから毎月少しずつ子ども貯金でお金を貯めていた。お母さんに「将来結婚やら何やらで金かかるから今のうちから貯めておきなさい」と言われたから。
それが結構貯まっていて、これは旅に使えということだなと私が勝手に判断。

帰国する頃には結婚に使うお金などきっとないだろう。まあこれは私の人生だし、今の私には旅の方が何よりも価値がある。

旅をするお金があるなら、日本でいい家を買って優雅に暮らせばいいのに、と言われるが、日本ではそんな風にはいかないんだよね。横浜で1年間暮らすのと、1年間世界を旅するの、かかる費用はほとんど変わらない。むしろ移動の仕方を工夫すれば旅の方が安く済むだろう。

2日目の夜はホストのお姉さんと満点の星空の下毛布にくるまって寝た。サマルカンドやブハラでは天文学が発達し、星をモチーフにしたタイルが多い。

ティムールの孫であるウルグ・ベクは太陽を観察し1年間を365日としたことで有名なのだとか。600年前人々はこの星を生活の基準にしていたんだなあ・・


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