2012年7月19日

カブール


 
Hafizとカブールの街を歩く。
日本車(トヨタ)ばかりが走る。マザリシャリフよりもだいぶ動きやすい。
道が広く、一つの道に人が集中していないから、歩きやすく写真も撮りやすい。

まずはHafizの母校(男子校)へ。カルザイ大統領もここ出身。

アフガニスタンではどの建物に入るときでも警察からのセキュリティチェックを受ける。
ここは男子校なので私が入るのはあまり好ましくないようだったが、チェックを通り中へ。

と、今度は写真を撮っているとまた誰かがやってくる。「許可なしに写真を撮るのは禁止」だと。校長室に行き、許可をもらう。

普段どこでも何でも写真を撮っている私だが、ここでは毎回写真を撮っていいか確認しなければならない。例えば政府機関やアメリカ大使館の付近ではカメラを出すことは禁じられている。
あちこちに隠しカメラがあり、警察もうろうろしているから下手な行動は出来ない。

その後財務省で働くZahirと会う。
なぜか、私がここアフガニスタンで会う人はみな階級の高いお偉いさんばかりだ。
私のようなただの学生のために時間を割いて会ってくれるのがありがたい。

ちなみにその次に会ったのがSupreme Auditという監査機関の副監査総監Mehdi。彼は私がビシュケクで会った友達の兄。彼とはカブール大学や外務省、それから女性省を訪問。
日本に女性省はないが、男女共同参画局がこれに当たるのだと思う。

女性省では技術政策関連の役職に就く女性、Mostafaviと面会。
彼女はカブール大学ジャーナリズム学部の教授でもある。建物の中は古く汚く、とても政府機関、しかも女性省とは思えない。
想像していたような建物とははるかに異なる。
机や椅子、壁や本棚もだいぶ古く、中は暗い。お金がない訳ではないのだが、だれも変えようとは思わないのだという。男女の差というのはこういう場所でも見られる。

アフガニスタンでの識字率は非常に低く、30%ほど。
私がここで会っている人たちはその30%の中の人たちだ。彼らには専属のドライバーがいて、どこへ行くにもVIP対応。

だが一方、街を歩いているときや車に乗って信号待ちをしているときでも、貧しい子供たちやブルカで全身を覆った女性がやってきては、手を差し出し「マネー!」とお金を求めてくる。

友人のHafizは「手も足もあるのに仕事を探そうとしない人にお金をあげる必要はない」と言っていた。確かにその通りかも知れない。
でも彼らはそもそも教育を受けられない低所得者だ。彼らに何が出来るのだろう。誰が彼らを雇いたいと思うだろうか。

アフガニスタンに来て、いろんな人の話を聞き何度も泣いている。
恐怖からではない。ここで出会う人たちにこれまでアフガニスタンで起こった本当のことを聞かされると、怒りや悔しさで涙が止まらなくなる。本当にここは不幸すぎる場所。
アフガニスタンはかつてインダス文明が栄え、歴史的にも重要な場所だ。それなのに今はどうだろう。戦争のイメージしかない。

出会う人ほとんどが言う。
2014年、アメリカ軍が撤退するまではこの状況は変わらない」。

アメリカ軍が撤退した後、市民同士の暴動や反乱はしばらく起きるだろう、でもその後きっと良くなる、と。本当か?

色んな立場の人と出会い違った考えを聞いているから、自分の中で整理するのがなかなか難しい。

Twitterで私のツイートを見たある日本人の記者の方から連絡をいただき、彼の友人Nazarと会うことが出来た。彼は実はタリバンのメンバー。
Afghan FoundationというNGOの理事であり、京都でカルザイ政権とタリバン両者の代表が出席する平和会議も実現。

タリバンはもともとイスラム教を基に、秩序回復のため立ち上げられた組織。
政府内にもタリバンはいるらしい。政府関係者のタリバンが人を殺せば、政府やメディアは「タリバンにより殺害された」と報じる。でも同時に、カルザイ政権の関係者でもあったりする。

ここまでくると何を信じたらいいか分からない。


 彼と子供たち。5人の息子と4人の娘がいる。皆温かく迎えてくれた。ありがとう。

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