ビシュケク最後の日。
最後の授業では、生徒たちがプレゼントをくれたり、ケーキやジュースを持ってきて教室内でパーティー開いてくれたり。
いやあ何度涙を流したことか。なんだかんだで生徒たちのことが一番恋しくなるんだろうなあと思う。
最終日ってことで、日本から持って来ていた祭りの格好で授業に。
日本大好きな生徒に法被を着せてあげた^^
翌日3日の朝、ついに出発の日。
職場のRuslanが8時半に迎えに来てくれるとのことだったのだが、なかなか来ないので電話すると「オッケー、9時20分の授業で会おう」と。笑
完全寝ぼけていたので急遽タクシーを呼び、West Bus Stationへ。
バス停では友達のArslanが見送りに来てくれていた。
もしビシュケクに来ることがあれば、ぜひ彼を訪ねて欲しい。歴史から雑学まで何でも詳しい人です。
大型タクシーで、オシュまで1200ソム(約24ドル)。
タクシーに乗った途端、号泣。友達や生徒だけでなく、よく利用した店のおじさんやカフェの店員さんなど、たくさんの出会いがあって色んな場面で助けられた。
一つ一つが意味のある出会いだったなあ。
タクシーはひたすら南へ。山を上っては下り、を繰り返す。ホンダのステップワゴンに11人乗せて、南部のオシュへと向かう。
乗客に英語を話せる者はいなかったが、運転手のおじさんや、隣に座っていた若い男の子2人、後部座席に座っていた子供たちとなんとかコミュニケーションを取りつつ、長旅を満喫。
途中の休憩場所にて。
5歳くらいの男の子が車酔いで吐いていたので、日本から持ってきていた酔い止め薬をあげた。
酔ったときの気持ち悪さは痛いほどわかる。彼のお母さんとおばあちゃんに何度もお礼を言われ、胸に手を当てお辞儀された(これは敬意を表す)。
男の子はその後無事復活^^
ヘアピンカーブだらけの道を80〜100キロのスピードで走っていたから、そりゃ酔うよなあ。
以前の私なら絶対吐いていたと思うが、どうやら慣れたみたいだ。
全く気持ち悪くならなかった。窓の外の景色に見とれすぎていたのか、それとも上海までの船で鍛えられたのかな。
11時間走り、ようやくオシュへ!
夜のオシュの雰囲気はどこかウルムチに似ている気がして、懐かしくなった。
もともとBagdagulという女の子に泊めてもらう予定だったのだが、家族に不幸があり会えなくなってしまった。
そこでもう一人のホスト候補Ilkhomに急遽お願いしたところ快く受け入れてくれたので、タクシー運転手にもう200ソム払い、彼の家へと向かう。
彼は30歳で娘が2人居る。今奥さんと子供2人がロシアに休暇で出掛けているため家の中は彼とそのお母さんのみ。
ウズベク語を話し、熱心なイスラム教徒だ。お母さんは英語を話さないが、何度も手を胸に当て、心で会話をしてくれた。
ありがとう、おやすみなさい、全ての挨拶で敬意を示してくれる。何度「ラフマット」(ありがとう)と言っても尽きないほどだった。
2日、オシュ2日目。
胃痙攣のような痛みが朝から続く。
食べ物が当たったような痛みではない。数十分置きくらいに堪え難い痛みが腹を襲う。
街の中を散策したり、山に行ったりしたかったのだが、この日はとてもそんな気分になれず。数少ないオシュでの時間を無駄にはしたくなかったが、あまりに辛かったので大人しく家で休養。
Ilkhom は出張でビシュケクへ。英語を話せる人もいなくなってしまったので痛みも伝えられず。でも気にしてお母さんが近くに住む親戚を呼んでくれて、彼女らとのんびり話をしたり(Google先生にお世話になりながら)、お茶したり。
左の彼女は22歳のお母さん。娘と息子が一人ずついる。
「子供いる?」と聞かれていないと答えたときの彼女の顔が忘れられない・・笑
ビシュケクに居るときに、「次はオシュへ行く」と言うと決まってみんな「オシュに行ったらプロフ(チャーハンのような感じ)を食べなさい」と言っていたが、確かにオシュでのプロフはめちゃくちゃ美味しい。
スプーンやフォークなど使わず手で食べる。これがなかなか難しくて、なかなかうまく口に入れられない・・
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