2012年7月21日

ヘラート

 
19日、Heratへ向かうため空港へ。
この日はパキスタンの大統領がカブールを訪れていたこともあり道路はパニック状態。
車がちっとも進まない。

やっとのことで空港へ着くと、今度は厳重なセキュリティチェック。
ここでもまたバックパックの中身を全て出される。ついさっき頑張ってパッキングしたところなのに!!と言いたいとこだが仕方ない。

非常食のナッツ、薬、ハンドクリームまで細かくチェック。ナッツも一つ食べろと言われ、ハンドクリームも手に塗って安全であることを証明しなければならない。

ここでもなぜか正露丸にひっかかる。匂いをかぎ、これは何だ?と。お腹用の薬だと説明すると、飲んでみてくれと言ってくる。
「冗談じゃない。私のお腹は正常だ」

バックパックの中身出したら出したで元の場所に戻して欲しいものだ。
自分で場所決めてパッキングしているのに全て無駄だ。

セキュリティのおばちゃんも私がイライラしているのに気付いたのか「まあまあそう怒らないで」と頭を撫でてきた(笑)。
何よりショックなのがスイスナイフを没収されたこと。日本を出る前にお父さんからもらった大切なものだったのに。それにあれはかなりの必需品。ああ頼むから返してくれ。

その後も何度もセキュリティの人にお願いしたが返してもらえず。チケット発券して待ち合いロビーへ。待っても待っても搭乗の合図は来ない。
17時に離陸予定だったが、飛行機に乗れたのは18時過ぎ。強風のため飛行機が遅れているとアナウンスしていた。

あるNGOスタッフの人と話していると、少年が英語で話しかけてきた。英語を勉強しているから外国人と話したいのだと言っていた。
最初私を見たときアフガン人だと思った、とも言われた。格好がアフガン人とほぼ同じだから、と。

実はこれ、よく言われる・・。キルギスやウズベキスタンにいるときにもよく現地の人に間違われたけど、ここでも間違われるとは。

アフガニスタンには、ハザーラ人という民族がいて、モンゴル系の顔立ちなので日本人と間違えやすい。これはラッキーだ。現地の人と同化できれば、あまり目立たなくて済む。

1時間以上遅れてようやく離陸。そして1時間後ヘラートへ到着。
どうやら重要な人が亡くなったようで、彼の棺が別の飛行機から運ばれて何十人もの人がその周りに群がっていた。
友人が紹介してくれたShahiqに会い、彼の経営するホテル「マルコポーロ」へ。またラッキーなことに友達のホテルなので宿泊費はゼロらしい。

 別の友達Timoryが会いにきてくれ、ロビーでしばらく互いの話をした。彼はEtisalatというアフガニスタンで一番大きな通信会社で働く大学生。まだ24歳の学生だが既に社会人として働いている。

翌日(20日)断食月ラマダンが始まった。
断食といっても全く食べられない訳ではなく、日の出から日没まで(4時から20時)の間飲んだり食べたりするのが禁じられていて、20時から4時までは自由に食べたり飲んだりできる。

もちろん私はイスラム教徒ではないので断食する必要はないのだけど、一緒にいる友達はみな断食しているのに自分だけ食べたり飲んだりすることはさすがに出来ないよなあ。イスラム教の国にいる限り、ここの人たちにできるだけ合わせようと思う。

とりあえずチャレンジしてみます。

まず朝起きて一杯の水も飲めないことが辛い。冷蔵庫を開ければ水があるのに、飲めないこの辛さ。Timoryが迎えにきて一緒に街を観光しに行く。暑くて風も強く埃っぽい。
当然喉が渇くが、飲めない。自分のツバを何度も飲み込み、昼過ぎに帰宅。
少し寝不足だったので昼寝。寝ていれば空腹感を感じずに済むが、起きたときがまた辛いね。


綺麗な場所なのだが、このとき既に頭がくらくらしていた。
パワーが全くないのを感じた。みんな普通に生活できているのが信じられない。

夜8時、待ちに待った夕飯。ご飯を目の前にしたとき、食べ物を与えられたことに感謝せずには食べられなかった。「さて食うか」といった軽い気持ちで食べられない。宗教の断食ってこういうことだったんだな、とその時初めて分かった。神に感謝してるのね。

最初の3日を克服できれば大丈夫だと皆言うので明日も頑張ります。

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